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親父と林檎11

俺が天井に向かってわんわん泣いていると、玄関がガラッと開く音がした。
親父がバタバタ歩いてくる。
「聡。どうした。大丈夫か?」
親父が息を切らせて俺のそばに来た。
手にビニール袋を下げている。
「家の前まで来たらお前の泣き声がしたよ。苦しいか?病院いくほどか?」
親父の身体からは冷たい外の匂いがした。
それと煙草の匂いだ。
親父の目には心配の色があらわれていた。
俺は泣いたのが恥ずかしくなった。
だが、親父の目を見ると、心の止め金が外れちまった。口が震えて、後から後から涙が出た。唇を噛んでも嗚咽が漏れた。泣くな、泣くなと心に命じても、唇が震え、ダムが決壊したみたいに涙が溢れた。
「うっうわ〜ん」
俺は幼稚園児だった時みたいに泣いた。
「ああ、かわいそうだったなあ。ひとりぼっちにしてごめんな。ごめんな。聡」
親父は布団の横にぺたりと座って俺の頭をしきりに撫でた。親父の掌は冷たかった。
その冷たさが熱のある額に心地よかった。
大人の男の大きな手だった。
親父は冷たい両手で俺の顔を包んだ。
「あー。熱がだいぶあるなぁ。苦しいか?聡。大丈夫か?死にそうか?」
親父は俺の涙を手で次々拭った。俺はされるがままだった。
「死なない。大丈夫」
俺は泣きながら答えた。
親父がそばにいてくれる。
俺はやっとホッとした。
自分では気がつかなかったが、俺は死ぬほど心細かった。
母や父にもっと親切にして欲しかった。
親に親切にされたいといのも変だが、もっと自分を気にかけて欲しかったのだ。
親父はちり紙で俺の鼻水をかませてくれた。
それから温くなった氷枕を俺の頭の下から抜き取ると台所へ行った。
俺は鼻水すすり、涙をちり紙で拭った。
親父は甲斐甲斐しく、新しい氷枕を俺の頭の下にあてがうと、「ちょっと待ってろ」とまた台所でガタゴトやっている。
俺はやっと泣くのがおさまって腫れた目で天井を見た。頭がじんじんした。
耳は親父の立てる音をじっと聴いている。
ゴリゴリと大根を卸すような音が聴こえてくる。親父は何をしているのか。ゴリゴリ、ガンガンと音がする。
大根おろしを作っているのだろうか。
硬い氷枕が気持ちよかった。
畳を踏む足音がして親父がガラス鉢を持って戻ってきた。
「できたぞ。風邪ひいた時はこれが1番なんだ。起きれるか」
親父は布団の横にあぐらをかくと、ガラス鉢を差し出した。
「りんごすりおろしたやつだ。うまいぞ」
親父はりんごをすりおろしていたのだった。
黄色いすりりんごにスプーンがさしてある。
俺は起きて、ガラス鉢を受け取った。
一口、食べた。
すりりんごは甘く、冷たく喉を通った。
「うまい。甘い」
俺はまた一口、甘いすりりんごを飲み込んだ。親父はにこにこして俺の様子を見ていた。
「うまいか。よかった。りんご買いに八百屋に行ってきたんだよ。熱があると口が不味くなるからな。果物の方が喉通るだろう」
「うん」
俺は夢中で親父のすりりんごを食った。
りんごの甘い汁を飲み込むと生き返ったような心地がした。

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