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野のめし

山の小屋で希代とあやとお爺さんは暮らしていた。
新緑が色濃く香る春が来てあやが山野を駆け回るころお爺さんは寝付いた。
小屋の中には病にむしばまれたお爺さんの咳が響いた。
希代は眉間にシワを寄せ、黙り込む事が多くなった。
お爺さんからは死の気配がした。
希代にはそれがよくわかるのだった。
あやは姉のそんな顔が悲しかった。
早くお爺さんが元気になりますようにと山の神様に手を合わせた。

ある日、お爺さんがふたりに弁当を作ってでかけてこい、と言った。
希代はとてもそんな気になれなかったが、
お爺さんが、
「お前も、わしばかりて、ひどい顔色になっている。綺麗な物を外で見てきなさい。わしは心配ない。」
というので、希代は飯を炊き弁当をこしらえることにした。

あやは大喜びで希代にくっついて自分も握り飯を作りたいとまとわりついた。
まるで子猫のような妹に希代はひさしぶりに笑った。
希代はあやに丁寧に握り飯の作り方を教えた。
「お手てをきれいに洗って、少し塩をつけて、熱々の飯をきゅっきゅっと結ぶように転がすのよ」
お爺さんは布団からふたりの娘を見て涙を流した。

飯には野で摘んできた野草を混ぜた。
この野草は病に効くと里におりたとき希代が医者から聞いてきたのだった。
「菜めしだよ。」と希代はあやに教えた。
希代はお爺さんの分も握り飯をこしらえた。
「ずっと粥だったけど、お爺さんの分です。もし食べられたら…。」
希代はお爺さんに握り飯を差し出した。
お爺さんは涙を流しながら、握り飯に手を伸ばすと一口噛りとった。
皺の寄った口もとを懸命に動かしてお爺さんは噛みしめた。
「うまい…。」
お爺さんは泣きながら握り飯を食べた。
希代は言葉がなかった。
お爺さんの最後の命の執着だった。

希代とあやは野を歩き、花や葉っぱでままごとをした。
蝶々や蜜蜂、風と草の匂い。
希代は無邪気な妹を見て生命のことわりを考えた。
人間とはなんと哀しい宿命さだめを背負って生まれてくるのだろうと。
希代は捨子だった。
薄汚れて村をさまよい歩いているのをお爺さんに拾われたのだ。
人間の温もりを知らなかった希代はお爺さんからいろんなものを与えられた。
その育ての親のお爺さんも死に臨もうとしている。

弁当を広げ、握り飯を口に運んだ時、
菜めしの米の風味と野草のほろ苦さが希代に自分が生きていることを嫌というほどわからせた。
彼女は泣きながら握り飯を食べた。
あやは希代が泣き出したのでびっくりして姉の肩に抱きついた。
希代はあやの頭を抱いて優しくなでてくれた。
今頃、山小屋ではお爺さんは生命のとばりをおろしているかもしれない。
希代は無常を噛みしめ、妹の太陽のこうばしい匂いのする髪に顔をうずめた。

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