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親父と林檎9

俺は母との会話を思い出して胸が悪くなってきたのでタンブラーのプッシーキャットをまた飲んだ。
甘くてうまい。俺にはジュースが1番うまい。
バーテンの見習いのくせに情けないことだが。
しかし、こうして話してしまうと俺は親父に対して薄情過ぎないか?という気もしてきた。マスターにこんな話をしてしまったのも恥ずかしくなる。
「さとちゃん…。俺は幽霊とかいるかわからんけどな、親父さんはさとちゃんが来て嬉しかったんだろな」
「はい…」
「死んじまったら、何にもしてやれないもんな」
「はい…」
「親父さん、ちゃんと供養してやれ」
「はい…。供養ってどうすればいいんですか?坊さんも呼ばなかったんです」
「線香とかあげてやらなかったのか」
「線香?そういえばあげてないです」
「はあ…さとちゃん。お母さんが用意してなかったのか。線香くらい」
「そういやなかったですね。ただ親父の骨が置いてあって、それがみすぼらしい木箱でしたね…。線香あげないと供養にならないんですか?」
マスターはいやいや、というように首を振った。
「お母さんはちゃんと親父さんを墓に入れたの?納骨は身内を呼ぶんじゃないか?まさかまだそのままなの?ルーズ過ぎないか」
「そういや、母から電話がきてました。出なかったけど」
「なんで出ない」
「俺、母と喋ると死にたくなるんです」
「さとちゃんよ」
「はい」
「反抗期か」
「いや、まあ、すいません…」
俺はうなだれた。マスターには素直な俺だ。
「おれは、すみれさんが亡くなった時はひとりでお別れをいったよ。すみれさんは最後は死に顔を知人に見せたくないからって生前言ってたからね。供養って生きてる者の心がけみたいなもんだからさ。まあ、俺が、勝手にそう考えてるんだがな」
マスターはそう言うと棚から紫色のリキュールを手に取った。
冷蔵庫から炭酸水とレモンを出した。
手早くレモンを半分に切ると果汁を絞る。
紫色のリキュール…パルフェタムールとレモンジュースとシュガーシロップ、氷をシェイカーに合わせ鮮やかな手つきで振るう。
氷を入れたロンググラスに紫色の液体を注ぎ、炭酸水を合わせていく。バースプーンで氷の底から軽く混ぜる。レモンスライスを一枚飾る。
バイオレット・フィズだ。
菫色の高貴な色。
婆ちゃんの名前すみれに因んだカクテルだ。
「バイオレット・フィズのカクテル言葉は、私を覚えていて、だ」
マスターはそう言って、スッと俺の前にグラス掲げて飲んだ。
「私を覚えていて…」
俺は婆ちゃんの皺の一本一本まで凛とした笑顔を思い出した。
「爽やかなバイオレットの香りと炭酸が身体を通り抜ける風のようだ、なんつってソムリエ風に言ってみてな、バイオレットを飲む時はすみれさんを想う。おれなりの供養だ」
やっぱりマスターはすべてがカッコいい。

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