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本当に?

もう半年くらい前だったか、Twitterで素敵な言葉掛けの方法を見つけた。

「大丈夫?」と声を掛けても「大丈夫です」と答える、しんどそうなひとや頑張りすぎているひとに対して、
「本当に?」
じゃなくて、
「本当は?」
と声を掛けてみよう。

というような内容だった。
そのツイートを見つける少し前、ある知り合いに「大丈夫? と問われたときに、大丈夫じゃないのに大丈夫、って答えるのやめなよ。そういうときに本音が言えるといいよね」と言われたことがあった。知り合いの言っていることはそれらしく正しいと思いながら、でも「いや、大丈夫じゃない」と否定から入る返答はしにくい場合も多々あるよなあ、と考えていたのだった。
そんなときに見つけたツイートだった。何だか秘密兵器を手に入れたような気持ちになって、その知り合いにも「少なくともわたしに問いかける時はこうやって言いなよ。このほうがずっと答えやすいから」と伝えたのだった。


「本当に?」と「本当は?」の違いはなんだろう。
それぞれの言葉の後にわたしが続けそうな言葉を考えてみると、
「本当に?」の後には「本当にそうなのかな? 本当は違うんじゃない?」と続けそうである。
対して、「本当は?」の後には「本当は違うでしょ? 本当に思っていることを言ってごらん」と続けそうだ。
わたしの言葉の選択の感覚だけだけれど、「本当に?」と言った場合には「本当は?」と続けたくなるようだ。(例で「本当は?」の後に「本当に」という言葉を遣っているが、この「本当に」は問いかけの「本当に?」と文法的に種類が違うと思う。無学につき詳しい説明はできません…)

わたしの解釈だと、「本当に?」と言葉掛けしても、実は「本当は?」と問うている。「本当に?」も「本当は?」も、問いかける側のゴールは同じところにあるようだ。ニュアンスの違いを見ると、「本当に?」はいったん相手の言い分を肯定しようとするそぶりを見せている。そぶりを見せている間、相手は本音を多少伝えやすくなるが、「本当は違う」と否定から始めなければいけない。対して「本当は?」のほうが遠回りしない印象だ。「本当は違うでしょ?」と問う側が相手を否定して始まると、答える側は「そうです」と相手を肯定できる。肯定の返答のほうがずっと精神的ハードルが低い。その精神的ハードルの低さが、共感や受容の感覚に形を変えていると思う。


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最近気づいたことなのだけれど、日々の会話の中で、わたしはよく「本当にそう思ってる?」と相手に問うてしまう。「昨日○○さんとこういうことがあったんですよ、疲れました」「それは大変でしたね」「え? 本当にそう思ってますか? 本当はそんなこと大したことないって思ってないですか?」というような。
相手がわたしを肯定してくれるような返答をすると、まるでそれを疑うかのように「いまの言葉本当?」と返してしまうのだ。

気づいたのは、ある日のカウンセリングからの帰りだった。
わたしは、ある日とった、自分でも不自然だと思うような行動について話した。後悔するかもしれないとわかっていながら、どこかエネルギーを持って自然な流れに背くような行動をとったことについて、カウンセラーは「そういうこともあると思いますよ」というような言葉を掛けてくださった。
その後にわたしの継いだ言葉が「本当に?」だった。「本当にそう思いますか? 例えば、先生の家族がそういう行動をとったとしても、『そういうこともあるよ』って言えますか?」と言ったのだった。詳細な言葉は覚えていないけれど、先生は「そう言うと思いますよ」というような言葉を返されたと思う。

あの時のわたしの「本当に?」に、「本当は違うんでしょ?」という、言葉の意味通りに相手を疑う気持ち、はなかったと思う。「本当に?」と問いながらも、「いや、本当だよ」と返ってくるとわかっているのだ。それでも「本当に?」とあえて相手の本音を聞き出そうとする空気をつくり、「いや、本当だよ」の、相手の言葉の本音ぶりを強固にしたいのだ。
相手の返答は本音だ、とわかっているから、「本当は?」ではない。「本当に?」「本当だよ」のやり取りを通して、自分の不安な気持ちを払拭したいのだろう。もしかすると、「本当は?」と問うて、「本当は違うんだよ」と答えられたらそれはわたしの望むことではないから、怖くてしないのかもしれない。

このような(ある種の不必要な)やり取りをしなくても、すっと相手の言葉を受け入れられるようになりたい、とは思う。自分が問われたら、気持ちが良くないかもしれないとも思う。(こんなまどろっこしいわたしの中だけでの気持ちの変遷を、ふつう誰も汲み取らない。「本当に? とか言われてわたしのこと信じられないの?」とネガティヴな方へ向く可能性すらある)
「本当に?」「本当だよ」のやり取りをしなくても、それは相手の本音であること。それを実感して体験を積むしかないのかもしれない。まあ、本音とか本心とか、空をつかむような次元のことは、言葉だけに頼らないほうが賢明とも思う。どうしても言葉への信頼が過多になるわたしの癖でもある。バランスとか、ちょうど良いところとか、そういうものを身体の感覚で身に付けたい。

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