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不本意に殺した蟻の数
蟻を踏んだ。
昼間、家の近くのコンビニに行く途中、なんとなく視線を下に落とした時。
アスファルトを動き回る蟻を一匹、踏んでしまった。
声には出なかったが、心の中で「あっ」と思ったけれどそのときはもう遅かった。
しかし、わたしは振り返って蟻の死骸を確認することもなく、足を止めることもなかった。
ただ、不本意に殺してしまった少しばかりの罪悪感がわたしのサンダルの裏にこべりついた気がした。
でも、その罪悪感もコンビニに着いて家に戻る頃にはすっかりアスファルトに擦り付けられていなくなってしまったようだった。
お風呂に入って足の裏を洗っていた時、あの蟻のことを思い出した。
なんだか、申し訳ないことをしてしまったなと昼間のことを思い出した。
もし、ずっとずっと人間よりも大きな生物がこの世にいたら、わたしが踏まれる立場だったかもしれない。
アスファルトをただ歩いていただけなのに空から大きなサンダルの裏が迫ってきて、自分を押しつぶすことを想像した。
わたしが生きてきて不本意に踏みつけて殺した蟻の数はどれくらいなのだろう。
わたしが生きてきて不本意に踏みつけて殺した心の数はどれくらいなのだろう。
わたしが生きてきて不本意に踏みつけられて殺された心の数はどれくらいなのだろう。
わたしのサンダルは蟻を殺すが、人の言葉は心を殺すと思う。
わたしたちは人の心を殺した罪悪感を、サンダルの裏に引きずって生きている。
どこかのアスファルトにそれらを擦り付けてきても、きっとお風呂に入って言葉を洗っているときにふと思い出してしまう。
わたしが下ばかりみて生きてきた理由は、わたしの言葉のサンダルで人の心を踏みつけてしまわないようにするためだったのかもしれないと思った。
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