人生という荒波の途中で

 いろいろと新しいことを始めると、すでにやっていることとの間で時間のやりくりをするのが困難になる瞬間がきます。時間には限りがあるので、どちらかを選択して、どちらかをやめるという決断をしなければならなくなります。人生って難しいですね。

 僕はこれまでで、積極的に選択することをしてきませんでした。それはつまり、捨てるという選択もしてこなかったということ。自分の中のキャパシティに収まる範囲で、好きなことをやってきただけの人生でした。時間の経過によって、自分の行動が勝手に入れ替わるという現象に身を任せていたんですね。今の時点で興味のあることをやって、飽きたら自然にやめている。ただその繰り返しです。

 それは、非常に受動的に生きているということでもあるし、自分の好きなことをやってはいても、やりたいことをやっているのとは違う。能動的に行動することをしないまま生きてきた結果、そこそこの年齢になっても自分という存在がとても曖昧なまま今に至っています。

 自分で決めなければならない社会において、自分で決められない状態でいるというのは、非常に大変なことです。必要な力が身につかないまま社会に放り出されているので、一から全部、自分でなんとかしなきゃいけない。まずは今自分がそういう状況にあるのだと、正しく認識する。そこから始めるしかありません。

 自分の人生を自分自身で選択しようと思ったら、必ずどこかで乗り越えなければならない状況に遭遇します。それも一度や二度ではない。だけどその度に人は成長するし、自分で生きる力がメキメキとついていく。

 今の社会が形成される以前は、皆が自分で生きるために狩りをしたり、農耕技術を身につけたりと、生きる力を身につけていたはずです。それが現代は、自身で生きる力がなくても、なんとかなるような社会にはなっている。
 だけど意思を奪って、ただなんとなく一生を終える人を量産した結果、社会の幸福の総量は本当に増えているんでしょうか。少なくとも僕は、真っ先にそこから抜け出したい。こんな息苦しい生き方とは、もうおさらばしたいのです。

 社会を荒波に例えるなら、今の僕はサバイバル経験がないままに海に繰り出しているような状況です。ただ、幸いにも船は頑丈だし、必要な食料や燃料は豊富にある。海にだって資源があるし、たまに同じように航海している人たちにも出逢います。

 これから先、同じように自分の人生を懸命に生きようとしている人たちと、たくさん出会って、一緒に頑張って生きていきたいなぁと思っています。

 それではまた!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?