立ち止まる余裕が必要

 文章を書く原動力が感動だとしたら、自分自身が感動するポイントをよく理解していることがきっと大事なんだろうだなぁと思います。僕はnoteを毎日更新しているんですが、何を書こうか迷うことがあります。そういう時って、忙しかったりで自分の心とちゃんと向き合えていない感覚があるんですよね。自分の感動する瞬間を見逃していると言ってもいいかもしれません。

 ただ、そうはいっても日常で感動することってあんまりないじゃないですか。しかしそれは、「感動」のハードルが高いせいなんじゃないかなぁと思うわけです。いつも通りの日常でも、毎日どこかしら感情が動いているポイントはあるはず。だけど僕たちはそれを華麗にスルーして、「今日はいつも通りの、何もない一日だった」みたいな感想で一日を締めることがほとんどです。

 例えば、お昼にコンビニで新商品のおにぎりを買ったとします。それがたとえ美味しかろうが不味かろうが、食べた瞬間に多少なりとも心が動いているんですよね。「感動」っていうと大袈裟になってしまいますが、結局は自身の心の動きにどれだけ敏感でいられるかという話になります。言い換えれば、自分の感情とどれだけ丁寧に向き合うのかということでもあるわけですね。

 noteを毎日書いていると、だんだん目的を見失っていきます。今日は改めて書く意味を少し考え直してみました。ルーティン化が成功した結果、ここ最近は惰性で続けているような感覚があったんですが、こういう時こそ一旦立ち止まって考える時間というのが、案外重要だなぁと思いました。

 それではまた!

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