認知特性と非合理性

 こんにちは!

 ゴールデンウィークが始まりましたね。僕は旅行へ行ったりする計画は特にないんですが、世間は相変わらずどこもかしこも人だらけですし、高速はすごい渋滞ですね。

 なんか、カレンダー通り働いてカレンダー通り休むのって、なかなか非合理だなぁと思います。例えば製造業などはサプライチェーン全体で同時に連休を取ることに関して、一定の合理性はあると思うんですが、そうでない業種って、別に一緒に時期に休まなくていいよなぁって、昔からずっと感じています。この辺、なんか理由があるんですかね?やめればいいのにって思う。

 こんな感じで、社会にはなんとなくこれまでの慣習で続けている、謎の決まり事がありすぎるように感じています。実際にやるとするとコストがある程度かかるのはわかるんですが、それを嫌って先延ばしにしたり断念してしまう方が、長期的には高いコストを支払うことになるはず。それなのにできないのはなぜなんでしょうか?

 僕は長年、こういう現象を疑問に思っていたのですが、最近思うのは、人間という生命体は本来、合理的な判断をすることができない生き物なんだろうなということです。そして恐ろしいことに、僕たち自身は合理的に判断できていると思い込んでいる。長年の疑問に対して、いつまで経っても説得力のある理由説明できないということは、多分そういうことなんだろうなと。

 この考えは、歴史を面白く学ぶ番組『COTEN RADIO』などを聴き始めてから、 確信めいたものに変わりました。歴史的にホモサピエンスが合理的な判断をしたことなど、一度もない。それはどんなに頭が良くてセンスのある人でも、同様です。それがきっと、人間という生き物の性質なんだと思います。

 であれば、合理的に判断ができない生き物だという前提で、社会を捉えるしかありません。まずはその思い込みから抜け出すことが、一番最初の一歩なのだと思います。
 で、僕自身も何かしら、そういう人間の認知特性について、より深く考えたり広めたりするようなことができればなぁと、ぼんやり考えています。

 ゴールデンウィークにちょっと思ったことを書いてみました。

 それではまた!

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