生き方をメタ認知する

 自分の人生が自分のものになっていない状態というのは、なかなかしんどい生き方をしていると感じるんですが、逆に自分の人生を生きることができている場合も、それはそれで大変なことです。結局、どっちを選んだとしても大変なのには変わりがないと思いますが、自分で手綱を握っているか否かというのは、人生の幸福度あたりにも影響がありそう。

 自分の人生が自分のものでない状態というのは、自分の意思ではなく、社会的な価値観、もっというと自分以外の他者の価値観で、人生の重要な選択をし続けているということです。そして、結構な人数の日本人が、他者の価値観で生きているように思います。なんでこういう現象が起こるんだろうと考えてみたんですが、それは多分、ホモサピエンスの特性と日本という独特の文化圏が影響しているのではないかなと。

 ホモサピエンスの特性というのは、人間が社会的な生物だということです。人は社会との繋がりを得ることで幸福を感じますが、逆に繋がりが完全に途絶えた状態で生きていくことはできません。だからこそ、人間はいつの時代も大小様々なコミュニティを形成し、その中で生きてきました。他者との関係性の中で自己が確立されるという性質の生命体が、ホモサピエンスなんでしょうね
 それからもう一つの理由なんですが、日本人は今述べた社会性というのが、かなり内向きに発達してきた種族のように見えます。国境が海を隔てて存在していることから、明確に「日本人とそれ以外」という認識が生まれ、それが内向きの文化として発達したのではないかと。鎖国なんかはまさにそうですよね。
 要は、外界との接点が少なく、敵国の脅威も相対的に薄れている状況において重要なのは、閉じたコミュニティ内での緩やかな合意形成というわけです。あるいは自然豊かな風土というものも、そういった緩さを醸成する要因だったかもしれません。日本という国が過度にルールを決めるのではなく、なんとなく雰囲気や空気、あるいは個人の倫理観で合意するという点は、そういった歴史的・文化的特性から生まれたんじゃないかなーと思うわけです。

 で、話を元に戻すと、そういった緩やかな合意形成を好む性質が、やがてハイコンテクストな文化を形成し、現代においては「空気読み」みたいなことばとなって社会に表出しているのではないでしょうか。そしてその「空気読み」が極端に触れた結果が、社会的な評価や他者の価値判断軸で生きるという現象を生み出している。ホモサピエンスの性質上、そういった側面は特定の人種に限らず誰にでもあるとは思いますが、日本人は先ほど述べた経緯もあって、その傾向が特に強いのではないかなと。

 というわけで、僕たちは自分の意思で生きていると思いがちですが、思った以上に自分と全く関係のないところから影響を受けています。それは日本という国が生み出した文化だったり、価値観だったりするわけで、当然コントロール不可能な領域です。それはもうそういうものなので仕方ないんですが、自分の人生を生きようとするのは、この瞬間、自分の意思で決めることができます。何故なら、今までの自分の価値判断が、外的な要因に影響を受けていたことを認識したからです。多分、こういうことがメタ認知の重要性なんじゃないでしょうか。


 それではまた!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?