年末ダメ男
そろそろ帰るか……
席を立ち、レジに向かう。女性店員2人がにこやかに応対してくれた。
「あなたは日本人?」
レジを操作していない方の女性が尋ねてきた。
「はい、そうですけど」
40ペソのアメリカンコーヒー代を払いながら、私は答えた――
ドミニカ共和国で迎える初めての年の瀬は、グアテマラからやって来た同期隊員とともに、首都サント・ドミンゴを観光するつもりだった。
しかし、私がタイミング悪くウイルス性の胃腸炎に罹ってしまい、酷い下痢に悩まされ、結局首都で5日間の療養することになった。
当然、同期には一目も会えず、散々な年末を過ごしたわけだが、安静の甲斐もあって、いくらか回復した私は、任地に帰る前に所用でとあるショッピングモールに立ち寄った。
昼食を簡単に済ませていくつかの店を物色した後、コーヒーが久しぶりに飲みたくなり、一軒のカフェに入ったのだった。
――女性店員の顔が光を受けたように明るくなる。年齢は私と同じくらい20代半ばのように見える。
「私は日本人の彼氏が欲しいの。顔もかっこいいし、身体つきも良いじゃない」
アジア系の顔立ちを良いと言ってくれたドミニカ人女性は、私の周りでは初めてかもしれない。身体つきはドミニカ人男性の方が筋肉質で、ガッチリしていて、私なんかはドミニカ人の方がかっこいいと思うのだが、彼女にとってはそうでもないらしい。
「今度、日本人男性を紹介しますよ」
笑顔で答える。同期隊員は私含め8名。うち5人が男性で、私の知る限り全員恋人はいない。
「ドミニカ人と日本人の子どもはかわいいのよ」
あぁそうですか、と苦笑いをする。話の展開が早すぎるだろと内心ツッコミを入れる。
「あなたは奥さんや恋人はいないの」
やっぱり来たか、この質問。面倒な流れになることは百も承知だが、嘘がつけない私は正直に「いませんよ」と答えた。
「¿Nada?(全くいないの?)」
日本人の感覚的には不思議な質問だが、この国では独身であれ既婚者であれ、複数の恋人がいることも珍しくないと聞く。(もちろん人による。そして「公認」「非公認」も人による。)
「ええ、いませんよ」
「私はどうかしら?」
こちらを見て、冗談っぽく自身を売り込んでくる。レジの女性は隣でケタケタ笑っている。
「あーいやー」
今思えば「意中の人がいる」とか「まだお互いのこと知らないし」だとか「お友達から始めましょう」とか言えたら良かったのだが、女性に迫られるのはこれが2回目。つまり任地で子持ちの女性にプロポーズされて以来である。断りの文句は日本語でも咄嗟に出てこない。
私が困った顔をしていると、彼女は「どうして?私、ブスかしら?」と聞いてくる。
これには慌てて否定する。
「いやいや、お綺麗ですよ。とても綺麗です」
この一言は本心だった。
キリっとした目鼻立ち、後ろに束ねられた黒髪に加えて、耳元に光る少し大きめのピアスがクールな印象を与えるが、小柄で細身、どこか愛嬌もあって全体的にはかわいらしい感じ。
容姿端麗との評を聞き、彼女は「ねぇどうして?なんで私じゃダメなの?」と畳み掛けてきた。容姿さえ良ければ良いではないかと言わんばかりだ。
いや、そういうグイグイ来る感じが苦手でして……とスペイン語ではパッと浮かばない。浮かんでも言えない。
「¿Por qué?(なぜなの?)」
この質問は苦しい。「なぜ」と聞かれれば聞かれるほど、断る明快な理由が思い浮かばなくなってくる。
苦し紛れに「俺は別の街に住んでるし」と言ってみる。
「どこに住んでるの?」
「アト・マジョールに住んでる」
「チャットだってあるし、通ったっていいじゃない」
「うーん……」
苦笑いをうかべたところで、別の男性客が現れ、レジの女性が接客し始めた。これを合図に、無意識に身を翻すようにした私に向かって彼女は、「行っちゃうの」と言った。
「うん」
彼女の方を向き直し、そう答えると、彼女は少し悲しげな眼差しで私を見つめた――ような気がした。
私は次に来ることがあるのか分からないのに、無責任に「またね」と言い残し、どこか逃げるようにして店を出た。
任地までの帰り道。ふとした瞬間に彼女とのやり取りが気になった。
彼女は冗談のつもりだったのかもしれない。しかし、自意識過剰なのも承知の上で、万が一にも私に対して本気の好意を向けてくれていたのだとしたら、私の対応は全く紳士らしさの欠片もない、酷いものだった。
スペイン語の巧拙なんて関係ない。彼女の懐に飛び込むのも、彼女との間にきっちり線を引くのも、そこに必要なのは覚悟と勇気だけ。
心身ともに貧弱なダメ男は、自分自身に打ちひしがれて、大晦日の任地に帰った。