家内安全の祈り方

 長男夫婦の家には初めて来たが、えらく綺麗でお洒落な家だ。白壁の一部に、任地ではあまり見かけないタイル張りの装飾があしらわれている。
 時刻は20時。街の中心から少し外れるため、辺りは暗い。それでもガレージの中は暖色の明かりに照らされていたので、そこにプラスチック製の白い椅子が並べられているのが見えた。優に50席はあり、老若男女20人ぐらいが既に腰かけている。
 あれ?もしかしてクリスマスパーティー?
 12月も半ばである。キリスト教徒が多いドミニカ共和国は、その例に漏れずクリスマスを盛大に祝うらしい。街のスーパーには10月からサンタクロースの人形が立ち、同時期には我が家にも電飾が灯った。
 一体何が始まるんやろか?
 ホストファザーと娘さんに続いてガレージに入り、先客に挨拶しつつ、会の始まりを待った。

 この日は土曜日。冬至を前にやたらと早く沈む夕日を見送った後、娘さんから「私たちは長男の家に行くけど」と言われた。
 晩ご飯を食べに行くのかなと思った。この週末はいつも食事を作ってくれているホストマザーが、親戚宅に外泊していたからだ。
 長男夫婦はしばしば実家(つまり私のステイ先)に妖精みたいな孫を連れて遊びに来る。
 彼は街一番の大手スーパーで経理の仕事をしており、私が昼休みに日用品などを買いに行くと、必ずと言っていいほど顔を合わせ、挨拶を交わす。
 妖精さんはまだ2歳ぐらい。彼女の舌足らずなスペイン語では何を言っているのかほとんど聞き取れないが、私に懐いてくれていて、任地で暇を持て余している私の遊び相手になってくれている。
 奥さんは、私がステイ先に住み始めて間もない頃、スペイン語ができない私のことを「スペイン語話者の私たちが英語を話すより、タカがスペイン語を話す方が難しい」と庇ってくれた女性だ。あの時は泣きそうになるぐらい嬉しかった。
 近しい仲なのに、彼らがどこでどんな暮らしをしているのか、全く知らなかった私は「俺も連れて行ってくれないか」とお願いし、ホストファザーの車に乗り込んだのだった。

 私たちが着席してからも続々とご近所さんがやって来たが、それでもすべての椅子は埋まらなかった。
 司会のおばさんが何やら話し始めた。こういった会は決まってお祈りからスタートするのだ。
 何を言っているのかてんで分からないが、とにかくありがたい言葉を聞き終えると、次はカトリックミュージックの斉唱に移った。
 人が集まる場で「さあ!みんなで歌いましょう!」と言われて、素直に歌える日本人はどれくらいいるだろう。仕方なしに小声で歌うのが精々で、羞恥心もあって大きな声で歌うなんて到底できないんじゃないだろうか。
 それがドミニカ人はどうだ。老いも若きもしっかり歌声を響かせる。
 私は歌詞が分からないので、みんなに合わせて(みんなバラバラだが)手拍子を打った。
 歌が終わり、さあいよいよ本題が始まるかと思ったところで、ワイシャツ姿の男性が一人前に出てきて、聖書片手に演説口調で朗々と語りかけてきた。
 なんだよ、またありがたいお言葉のコーナーかよと思い、あくびを噛み殺していると、また歌が始まって……
 そんなことを何度も繰り返す。
 さすがに飽き始め、私の隣に座るホストファザーもスマホでFacebookをチェックし始めた頃、彼らの口からある単語が頻繁に出てくることに気付いた。
 「casa」である。日本語で言うところ「家」「家庭」にあたる言葉だ。
 このやたらと綺麗な家で、casaのワードが連発されるのを聞く限り、どうやらこの会は竣工式みたいなものらしいと感付いた。

 ありがたーく、ながーい話が終わったところで、いよいよこの会のホストである長男夫婦が出てきた。家主の挨拶というわけだ。
 奥さんは大きな声ではないが、よく通る声で手短に挨拶を済ませた。一方の長男は照れ臭いのか、終始頬と目元に笑みを浮かべながら、いつもよりぼそぼそっと話した。
 しっかりしろよと内心笑っていると、夫婦は「家の中へどうぞ」と客人たちを招き入れ始めた。
 竣工式に続いて、内覧会だ。
 席を立ち、ガレージから家の中に入ると、外観に負けず劣らずの素敵な内装に目を奪われた。
 白を基調とした壁と天井が涼やかな印象を与える一方で、床にはフローリングが張られており、私が日本人だからか、その木目には温もりを感じる。ちなみにこの国の民家でフローリングを見かけるのは、これが初めてだ。
 フローリングのリビングに土足で上がることに罪悪感を覚えながら、家具や調度品に目を移す。
 木製のテーブルや椅子は艶やかに光り、ソファの上にはクリスマス用のクッションが並べられている。全体的にシックな雰囲気のリビングになっているが、額に入った色鮮やかなフルーツの絵画が、程よいアクセントとして映えている。
 新居ならではの生活感のなさが、住宅展示場のモデルルームみたいだ。
 部屋をぐるりと見まわしていると、続々と訪問者が屋内に入ってきて、一つの大きな輪を作るように並び始めた。
 輪の中心には夫婦と妖精、加えて司会を務めていたおばさんなどが入り、長男たちの肩に手を置いて、またもや祈りの言葉を囁き始めた。
 どんだけ祈んねん、と呆れたのも束の間、長男夫婦を取り囲む人々が口々に祈りの言葉を発し始め、あるいは黙って目を閉じ、念じ始めた。
 私の隣ではホストファザーも俯きがちに目を閉じて、息子たちのために一心に祈りを込めている。
 それぞれが、それぞれのタイミングで拍子を打ち始める。全く不揃いな音なのに、不思議な一体感がそこに生まれる。
 祈りの声を発する者も、目を閉じ祈る者も、拍子を打つ者も、全員がまるで別の動きをしている。しかし、唯一の共通の願い――家内安全――に向けた本気が幾重にも重なると、それらは一つの巨大な渦のようなものになって、私を飲み込もうとした。
 軽い立ち眩みを覚えた。
 誰かが誰かのために祈るパワーを、まざまざと見せつけられた気がした。

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 『TSUMUGI』の不定期連載エッセイ【ドミニカ共和国食べもん日記】を少し前に更新しています。
 第2話『白いドゥルセ・デ・ナランハ』はこちら