【noteおっさん昔話】くさとりばあさん

 むかーしむかし、あるところに、旅好きのおっさんがいました。おっさんは事あるごとに「海外行きたい」と口癖のように漏らしていましたが、流行病が行手を阻んでいました。
 それでもおっさんは旅をやめず、過去の戦を学ぶためにうさぎの島に渡りました。
 おっさんが不思議なおばあさんと出会ったのは、その帰りに尾道という坂の街に立ち寄った日のことでした。

 とん、とん、とん……とん、とん、とん……
 最初、おっさんは誰かが布団でも叩いているのだろうと思いました。
 石造りの階段を降りてみると、その途中で白髪のおばあさんが手摺にもたれかかるようにして側溝を覗き込み、溝の中を杖で叩いているではないですか。とん、とん、とん……
 な、何してるんやろか。
 不思議に思って傍から見ていたおっさんに、おばあさんが声をかけてきました。
 「勝手に年寄りがこんなことして、怒られちゃうわねぇ。雨が降ったら詰まっちゃうから」
 どうやら杖で溝を叩いていたのは、底に生えた雑草を取るためだったようです。
 「いやいや、なかなかできることじゃないですよ」
 おっさんは、住民の手によって地域の掃除がなされるというのは、当たり前のことのようで、当たり前ではないと思いました。この翌日、別の住民から聞いた話によると、坂の街だけあって土砂災害がよく起こるということでした。街の排水機能を高めておくというのは、地域防災の基本でもあるのです。
 それにしても、とおっさんは思いました。杖を持っているということは、足腰が衰えているはずです。こんな階段の中腹で、おばあさんが一人で作業……もしも転んだら大変なことになってしまいます。この場を離れて、万が一のことがあっては寝覚が悪いではないですか。
 あと1時間足らずで日没を迎える時間帯でした。おっさんは、旅の夕刻をどこで迎えるかをとても重要視しており、この階段下にある天寧寺三重塔の辺りから夕景を眺めようと決めていました。あまりのんびりはしていられませんが、少し心配になったおっさんは、なんとなくその場を離れることができずにいました。
 「お兄さん、優しいねぇ」
 「いえいえ、私は何も……」
  そうです。おっさんは別に何を手伝うでもなく、ただ見ていただけなのです。優しくはありません。
 おっさんは、一通りの草を取り終えたおばあさんと一緒に坂を下ることになりました。おっさんを旅の者と見たおばあさんは、色々なことを尋ねてきます。
 今晩はどこに泊まるの?いろは荘さんです。午前中はどこへ行っていたの?竹原の方へ行っていました。どちらから来たの?大阪ですが、出身は奈良です……
 「平群ってあるでしょ」
 おっさんが予想だにしなかった地名が、おばあさんの口から出てきました。
 「ありますけど、なんでご存じなんですか?」
 平群はおっさんの故郷に程近い町の名ですが、県外の人が知っているような土地ではありません。
 「おじいさんがいた頃は、私も京都や奈良によく行っていたのよ。平群には千光寺っていうお寺があってね」
 千光寺という名前は知っていましたが、おっさんは参拝したことがありませんでした。
 「私はこの坂の上の千光寺で働いているから、行ってみなきゃと思ってね」
 これまでの会話から、おばあさんが今年84歳になると聞いていたおっさんは、まだまだ現役と聞いて驚きました。
 「閉まってたでしょ、千光寺。5時に閉めちゃうのよ」
 「明日の朝、伺おうと思ってるんですよ」
 「じゃあ早く行っておかないとねぇ」
 おばあさんは会話の随所で、一緒に階段を下りたおっさんに対して「優しいね」「ありがとうね」と言いましたが、おっさんはむしろ尾道の話を地元の人から聞けて満足でした。
 おばあさんの家への分かれ道が見えたところで、2人は礼を言い合い、お別れしました。

 翌朝、宿を出たおっさんは狭い路地をずんずんずんずん登ります。道すがらたくさんの猫に出会いましたが、きび団子の持ち合わせがなく、お供になってくれる猫はいませんでした。
 千光寺に着きました。暦の上ではまだまだ冬ですが、春の日差しは汗ばむほど。おっさんは既に上着を脱いでいました。
 そんな簡単におばあさんを見つけられないだろうと思っていたおっさんでしたが、境内に入ってすぐの御守り売り場で参拝者のお世話をしている姿を見つけました。
 「こんにちは。昨日はどうも」
 「あぁ来てくれたんやねぇ。ありがとうねぇ。温泉には行ったかね」
 昨日、宿の場所を聞いたおばあさんが勧めてくれた銭湯のことです。
 「良いお湯でしたよ。のんびりできました」
 答えるおっさんに、おばあさんは飴玉を2つ差し出してきました。
 「いいんですか?ありがとうございます」
 おっさんは遠慮なくいただくことにしました。
 「天気に恵まれて良かったねぇ」
 「ええ、ほんとに」
 答えるおっさんに、今度は「お菓子をあげようね」と言って、ポチ袋のような白い紙袋を手渡してきます。
 「いやいやいや……」
 おっさんもさすがに遠慮します。お饅頭でも入っているのでしょう、ポチ袋にはそこそこの厚さがありました。
 「いいのよ。渡そうと思ってたんだから」
 わざわざ用意してくれていたようです。そう言われると無碍にはできません。おっさんはポチ袋を両手で受け取ります。
 「お兄さんは優しいねぇ。ありがとねぇ」
 このおばあさんは何なんだろうと、おっさんは思いました。おっさんには感謝こそすれ、感謝されるような覚えはありませんでした。
 「この御守りが良いと思ってねぇ」
 おばあさんは青い御守りを一つ手に取りました。そこには「諸願成就御守」と書かれており、値札には500円と書いてあります。
 おっさんが、買おう、と思うと同時に、おばあさんは御守りを「尾道千光寺御守」と書かれた、こちらも小さな白い紙袋に入れました。財布を取り出そうとするおっさんをよそに差し出してきます。
 「いやいや!さすがに買いますよ!」
 「いいのよ。千手観音さんだからどんな願いも叶えてくれるわ。財布に入れておきなさい」
 おっさんは、ここでも断れませんでした。しかしそれは、遠慮ができなかったということではありません。
 「お兄さんは優しいからねぇ。ありがとね」
 おっさんは、無性に泣きたい気分になっていました。お守りを、一生大切にしようと誓います。
 「みんなに幸せになってほしいけんね」
 どう生きれば、みんなの幸せを本気で願える人になれるのだろう……
 おっさんには、おばあさんが仏様の化身に思えてなりませんでした。そしておばあさんのように歳を重ねたいと心から思うのでした。

 めでたしめでたし。