バンパイアウーマンのねがい

 「おい!チニート(中国人)こっち来い!」
 振り返ってみるとバイクにまたがったおじさんが、私に手招きしている。
 つい先ほどすれ違いざまに挨拶したおじさんである。おじさんの奥には女性が3人。彼女ら周りでは数人の子どもたちが戯れている。
 家の前の日陰で、夕涼みしているところらしい。
 やはり捕まった……
 ステイ先まであと少しだが、無視して帰るわけにもいかない。
 私はとぼとぼと彼らの輪に入っていった。  

 すれ違う人とは知らない人でも適当に挨拶を交わすようにしている。
 着任当初は「Buenos días(おはよう)」「Buenas tardes(こんにちは)」ときっちり挨拶していたが、いつの間にか現地の人に流され「Buen día」「Buenas」と砕けた挨拶に変わってきた。
 最近では挨拶代わりに「中国人」と呼んでくる人に対して、「日本人や!」と訂正することも少なくなり「ウェーイ」とテキトーに挨拶を返す。
 そんなやり取りも含め、挨拶を交わすだけで顔見知りが増えていく。
 近頃はスーパーの前でバイクタクシーの客引きをしているおじさんと仲良くなり、日本語の挨拶を教え始めた。
 全ての出会いは挨拶に始まるのだ――
 そんな当たり前のことを思い、「¡Buena! ¡Buena!」とさらに砕けた挨拶を彼らとも交わしながら、女性の1人から愛しのメッセージが発せられたのを、私は聞いてしまった。
 「チニート!愛してるわ!」

 「愛してる」と言われた時は「あっはははー」とわざとらしく笑うことで、「私は冗談として受け取っていますよー」と意思表示をし、そそくさと通り過ぎたのだが、逃げ切れなかった。
 一度捕まってしまうと、職務質問のごとく取り調べを受けることになる。
 初対面の私に愛を伝えてきたショッキングピンクのTシャツの女性が、私の右腕を取り、もっと近くに来いと引っ張ってきた。思わぬ力によろめきつつ、彼女らの前に立つ。
 年齢はよく分からない。20代後半にも30代後半にも見える。
 彼女は「私は独身です」と声高に宣誓した後、名前も言わずに矢継ぎ早の質問を浴びせてきた。
 名前は?タカです。日本人です。どこに住んでるの?あの家に住んでいます。彼女はいるの?いません。ドミニカ人の女は好きか?まあまあですね……
 一通り尋問に答えると、連絡先を要求してきた。どうやらそれが釈放の条件らしい。
 渋々ながらWhatsApp(メッセージアプリ)のアカウントを教え始めると、彼女はジリジリと私との距離を詰めてきた。私は一足分ずつ後ずさりする。
 ち、近いし、なんか怖い……
 ある意味での一進一退の攻防を繰り返していると、隣で遊んでいた女の子が「オトロノビオー!(ママに他の彼氏ができた―!)」と言って、事の成り行きを見ていたご近所さんの方へ駆け出して行った。
 思わずぶっと吹き出しそうになっていると、彼女は「コラッ!」と娘を追いかけるポーズだけ見せた。
 ご近所さんは私に向かって「彼女ができたのか!」と囃し立ててくる。
 「アミーガ!アミーガ!」
 ここ一番の声を張り上げ、全力でただの友達であることを強調した私に、彼女は「アミーゴ!アミーゴ!」と言って抱き付き、首筋にキスしてきた。
 たしかにドミニカ共和国では、挨拶の際に軽いキスをすることもあるが、よほど親しくない限り形だけだ。
 しかし彼女のそれは結構ガチなやつだった。そこそこの勢いで吸い付かれた私は、キイィーーーと顔が引きつり(あるいは「キイィーーー!」と声を出たような気もする)、彼女の背中に回した右手でバン!バン!バン!と強めに叩いた。
 ギブアップ!もう許してください!
 巷で話題の“濃厚接触”から解放された私は、やれやれ家に帰るかと身を翻した。すると、なんと彼女は私の隣を歩き始めたのである。それも、勝手に腕を組んで。職質の後に任意同行である。
 ずっと苦笑いの私に彼女は質問を続けた。
 「一人で住んでるの」
 「ドミニカ人の家族と住んでるよ」
 なーんだ、と彼女は足を止めた。私が一人暮らしだったら家まで上がり込むつもりでいたらしい。恐ろしい女である。
 しかし尋問は止まない。
 「勉強で来てるの。働いてるの」
 「働いてるよ」
 「どこで」
 「Fundación Pringamosa」
 ほとんどの住民は、このプリンガモッサというワードを聞くと、「あぁ、この外国人は貧しい人のために働いているんだな」と勘付いてくれる。Pringamosaとは任地近くにある貧しい集落の名前である。今回もそれを期待したのだが、彼女は「Fundaciónって何?英語?」と聞いてきた。
 うーむ……よくよく考えるとFundación(財団)って何だろうか。
 悩みつつ「バテイ(集落)で貧しい人たちへ支援活動をしている」と答えると、彼女は目の色を変えた。
 「私の家にも床を作って!」
 え?と思い、先ほどまで私たちが立っていた軒先を振り返る。この家は任地の家屋でも立派な部類に入ると思っていたが……
 実際、市街地を離れると、コンクリートの壁にトタン屋根を被せただけの家が無数にある。床は土がむき出しの状態というわけだ。
 私の戸惑いを察した彼女は、まくし立てるように説明を付け加えてきた。
 「あれは私の家じゃないの。私は姉妹でここから離れたところに住んでる。今度見に来てよ」
 私は迷った。一人のボランティアとして彼女の暮らしぶりは見てみたい。しかし私にも、私の配属先にも、家に床を作るような資金はない。
 興味本位で行くのは、違うのではないか……
 私が彼女の家に上がり込めば、いくら事前に説明したところで彼女は(色々な意味で)期待するだろう。
 私が悩んでいる最中も彼女はしきりに「いつなら来れるの」と尋ねきて、最後には「日程を考えて連絡して」と言われてしまった。
 あまりの勢いに返答に窮した私は、いつの間にか腕を振りほどいて子どもたちの方へ歩いていく彼女の背中に「またね」としか言えなかった。  

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 1ヶ月以上前に『TSUMUGI』の不定期連載エッセイ【ドミニカ共和国食べもん日記】を更新しています。
 第3話『ドミニカ共和国のクリスマス【パーティー編】』はこちら。