いやーマジか

 ある日の夜。冷たいシャワーを浴びてから、ステイ先の自室でノートパソコンを開く。小学校の時の友人であるUから電話がかかってくることになっているのだ。
 彼は知り合いの中でも屈指の頭脳明晰な男で、今は大阪で医師をしている。
 そんな彼から前日の朝、「明日は午後から仕事だが、朝は奈良にちょっと帰省するので、Fとコーヒーでも飲もうという話になっている。そのタイミングで電話できるか」という旨の連絡が来た。ドミニカ共和国と日本の時差は13時間ある。
 連絡を受けて、2人でわざわざコーヒー?と思わないでもなかったが、医師として夜勤もこなしていると聞く。不規則な勤務で、なかなか人と会う時間も取れないのかもしれない。それにFは理学療法士だ。医療現場の積もる話もあるだろう。
 私は朝から2人で会うという話には気に留めず、電話を快諾した。

 スクリーンにUの顔が映った。おや?と思ったのは、どうやら彼がどこかの家にいるらしいということだ。コーヒーと聞いていたので、どこかのカフェからかけてくるのだろうと思っていた。
 久しぶりやなーと手を振り、挨拶を済ませると、Uは「報告があります」と改まった。
 なんやなんや?お前も結婚か?
 ドミニカ共和国に来てからというもの、地元の友人や学生時代の友人から婚約、入籍、結婚式の報告が相次いでいる。
 それともFと会えなくなったのだろうか。彼はまだ一度もスクリーンに映っていない。
 私の頭にはいくつかの予想が浮かんだ。だが、次の瞬間、画面に映し出されたのは私の想定の枠から、いとも簡単に飛び出した光景だった。
 赤ん坊だった。
 え?え?誰の子?どういうこと?
 逡巡するが、思い直す。
 ――ははーん、これはドッキリやな。
 Uに子どもが生まれましたというドッキリだろう。この子は親戚か誰かの子に違いない。
 そんな手に乗ってたまるかと、当たり障りないセリフを半笑いで吐く。
 「俺は何て言うたらええんや」
 さあ、もうタネ明かしの時間だぞと思ったところで、画面にひょこっとFが登場した。
 なんや、Fもいたんか。
 Uが言う。
 「Fに子どもが産まれましたー!」
 はいはい。まったく、手の込んだドッキリである。
 Fとはこちらに来てからも、彼の結婚式の際など度々連絡を取っているし、何より昨日の朝LINEしたところではないか。
 その内容も「勤め先の近所でヤクザの抗争があり、拳銃を使用した殺人事件があった」という銃社会ドミニカ共和国みたいな(って言うか、こっちでもあまり聞かない)恐ろしい話が中心だったのだ。
 Fに、子どもが生まれているわけがない。
 もうええから、と飽き飽きし始めたところで、またも画面が切り替わり、一人の女性が映った。
 Fの奥さん、Tさんだった。
 え……あれ……どういうことや……ドッキリにTさんも巻き込んだんか。いやでもUと知り合いちゃうよな。いや、俺がおらん間に3人で飲んだんかもしれん。いや、そもそもTさんはこんなアホみたいなドッキリに加担するような人間じゃ……
 「えー……」
 私は言葉を失った。100%ドッキリだと思っていたのに、Tさんの登場で「子どもが産まれました」という言葉に真実味が増してきた。
 「えーどういうことや」
 スペイン語じゃないのに、二の句を継げないどころか一の句すら出てこない。何をどう聞けばいいのか分からなくなっている。
 Fが子どもを抱いている姿が映る。本当に父親なのだとしたら、まだちょっとギコチナイ。
 「え?ちょっと待って、ホンマなん?」
 「いや、ちょっと待ってくれ、ホンマなん?」
 私は誰に聞くわけでもなく繰り返す。今は、何を言われても信じられない。
 Tさんの声が聞こえてくる。
 「似てるやろー」
 「似てるような……似てないような……」
 Fの子だとしたら似ている気もするが、Fの子じゃないとしたら似ていないような気もする。私の脳みそは、思っている以上に頼りない。
 「え?ホンマなん?ホンマにFの子なん?」
 ホンマなのだとしたら、Fは妊娠から出産まで全てのことを私に隠していたことになる。幼少のころから家族ぐるみで付き合ってきたFについては、大概のことを知っている。
 なのに、彼の人生の転機をこんな形で知るなんて……
 やはり信じられない。
 先ほどからスクリーンの片隅に映る私は、文字通り頭を抱えている。
 全く状況が整理できず、パニックに陥っていた私だったが、赤ちゃんがFの腕からTさんの腕の中に移ったところで、私が当初想定したドッキリの疑念はおよそ吹き飛んだ。
 Tさんが抱っこする姿は、まさしくお母さんのそれだった。
 不思議なものだが「Fの子です」と何度言われるより、慈しみに満ちた優しい光景に一番説得力を感じた。
 あぁ、ほんまにFの子なんや……
 子どもの頃から一緒だったFが父親になった。混乱した頭の片隅で、長い時を思う感慨のようなものが少しずつ湧き出てきた。
 「あぁーおめでとうございます」
 呆然と力なく、しかしやっと祝意を伝え、その後も私は「いやーマジか」「いやーマジか」と繰り返し続けた。

 多少落ち着きを取り戻し、ひとしきり喋ったところで電話を切った。
 画面の中に映る父母となったFもTさんも、友人のUもこの上ない笑顔だった。
 そして私も自室で一人ニコニコしていることに気付く。
 生後たった5日で、地球の裏側にいる私まで笑顔にできるのだから、Yちゃんは凄いなと感心してしまう。
 思い返してみると「俺がドミニカおる間に子どもできてるかもしれんなぁ」なんて話したこともあった。「Y」という名前も、ずいぶん昔、子どもが産まれたらどんな名前をつけようかと話した際に、Fが言っていたものだった。
 まさか現実になる日が、こんなに早く来るなんて。
 どうやら世界は私の想像以上のスピードで動いているらしい。
 私が帰国する頃にはYちゃんは1歳3ヶ月。
 親友夫婦のもとに生まれ落ちた小さな女の子は、私が日本に帰りたくなる理由を一つ増やしてくれた。  

☆★☆★☆★☆★☆★
 『TSUMUGI』の不定期連載エッセイ【ドミニカ共和国食べもん日記】を更新しました。
 第3話『ドミニカ共和国のクリスマス【スーパー編】』はこちら。