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聞き取り、文字に残す、怖さ〜座間味の生活史〜

今年も、座間味の生活史、聞き取りを去年に引き続き、大学院生の有志の方々とすることができた。
本当に有り難い。

今回語り手を探すにあたって、実感したのは、戦前のことを話せる人がほぼいない。ということ。
もちろん生きていらっしゃる方はいるけど、話せない人がほとんど。
すごく寂しい気持ちになった。



その中で、1人、85歳の女性の方にお願いした。
お願いしに行った時も、昔の話をしてくれて、快く彼女は受け入れてくれた。
でも、当日のお昼になって彼女から連絡があった。
「やっぱり私は話せない。」
「不安で昨日眠れなかったの」
「怖くて手も震えて」

彼女の近しい人で、過去に証言をして、裁判沙汰になって、取材もたくさん来たことを話してくれた。
座間味島の「集団自決」が軍命令だったか、そうじゃなかったかの議論。
その渦中を近くで見てきた1人だった。

私はそのことを知っていたけど、彼女にお願いした。
断られてもいいから、取材とか嫌かもしれないけど、彼女の言葉を聞いて、残してみたい、お願いしてみよう。って。

彼女の「怖くて手が震えて」っと聞いた時に涙がボロボロと出てしまった。電話越しだったからなんとか耐えながら、「怖い思いさせて本当にごめんなさい。」とあやまった。

数時間後に大学院生が来るから、泣いてる暇も、悔やんでる暇もない、違う語り手を探さないといけない。とりあえず、仲良しのMさんに頼んだ。

聞き取りも無事4人終わり、大学院生の子たちが帰り、一息ついた時、また彼女の言葉がよみがえる。
「怖くて手が震えて」

改めて思った。聞き取りや、言葉を文字にし残すことは、一歩間違えると、とてつもなく相手を傷つける。そしてその周りの人を傷つける。
そこまで気にする?ってぐらい神経をすり減らしてやらないと、"暴力"になってしまう。
この島で過去に何人が傷つけられてきたのか。
どうして、私は彼女にお願いしても、時間が経っているし大丈夫だろうと、どこか軽く考えてしまっていたのか。
腹が立って、腹が立って、自分と誰かを殴りたくなった。

人を傷つけてしまうかもしれないのに、それでもその人の言葉を聞いて残す意味はどこにあるのか。と聞かれるとわからなくなってしまう。
自分でも分からない。でも私は価値があると信じているから、やめたくない、のだ。
なんて勝手な人間なんだろうね。

よく、他人に私がこういうことしてます、というと「凄いね」「偉いね」と言ってくれて、なんか分からないけど良いことしてる感じが出るけど、
もしかしたら人を傷つけるかもしれないと分かっていながら、やり続けている人間なのだ。
それでも、私は、私を生きないといけないと思っている。

この葛藤は一生続くだろうし、
彼女の言葉を忘れないようにしたい。



p.s
あ、彼女とは、あとからお詫びのお菓子を持って行って、たくさん世間話して、たくさん笑って、今も週1回の体操で会って、仲良しです。

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