見出し画像

2022GW四国⑥

四国から九州を目指す時、八幡浜市から大分の別府に向かうフェリーと、もう少し先の三崎港から佐賀関へ向かうフェリーがある。
(松山-小倉フェリーというのもある)
前の記事でも触れたが、もっぱら私は三崎-佐賀関のフェリーを使う。

理由は簡単、安いから。

人と125までの原付を載せて、三千円でお釣りがくる。
加えて九州四国間の最短距離を結ぶため、乗船時間が短い事も好きな理由だ。(70分)
過去に数回お世話になっているので、今回も深く考えず三崎港を目指した。

三崎港のフェリー乗り場に着くと、前を走っていたカブの兄ちゃんが何やら係の人とゴタゴタしてる。
カブの兄ちゃんが済むと私の番だ。
係の人が
「予約はありますか」
と聞くので無い旨を伝えると
「今日の便の予約は全て埋まっているので、乗るのは難しい」
と言うでは無いか。

うっすら予想はしていたが、
連休真っ只中、四国で混むのは道ではなく船だ。
予約のキャンセルを待つと伝えると、端に誘導される。さっきのカブの兄ちゃんも居る。

船がそこまで大きくない事もあるが、一便あたりの二輪車の枠は5台とのこと。
その全てが予約で埋まっている。
あれ、無理ゲーじゃね?
みたいな考えも浮かぶが、フェリーは1時間に一便あるし、まだ日が暮れてもいない。

カブの兄ちゃんに目をやると、小牧市のナンバープレートを付けている。
小牧から来たの?と声を掛けると、そうだと言う。
陸路で和歌山まで走ってフェリーで徳島に渡り、四国を回って今日から九州を目指すと。
良いね。そういう感じ。
今回初めて旅人っぽい人に出会えた。

小牧市。
尾張小牧と言った方が分かりやすいか。
同級生が名古屋に就職したので何度か行った事がある。

小牧のさ、馬鹿みたいにデカい健康センターあるじゃん?あそこに泊まった事あるよと言うと兄ちゃんの目が輝く。
えー!あそこ高いでしょ!あはは!と。
誰でも自分の地元を知ってる人に会えば話は弾む。
四国の小さな港で小牧の話で盛り上がるだけ盛り上がって、コンビニ行ってきます、と兄ちゃんは歩いて行った。

そこに係のおじさんが走ってきて
「一台キャンセル出た!」
と言う。
やったじゃん、兄ちゃん当選だ。


今度は地響きのような排気音を轟かせて、二台のハーレーが入ってきてやはり係の人と言い合っている。
そしてこちらに誘導されて来るので彼らも予約が無い組だと分かる。

「乗れんってどうやぁ」
同じ看板(チームのワッペン)を背負った二人組はヘルメットを脱ぐのもそこそこに喧々諤々である。
「今まで予約無くても乗れよったっさぁ」

あ、長崎弁。

しばらく仕事で広島に居る私は、九州の言葉を聞くのも久しぶりで嬉しい。

見れば二台共長崎ナンバーだ。

「おい(俺)が聞いてくっけん」
と興奮冷めやらぬ口調で1人が歩いていった。
残ったほうの1人に、
長崎ですか?と声を掛けると島原の方、と言う。
しめた、島原なら仕事で何度も行ったので土地勘がある。

俺、小浜温泉に1か月缶詰で仕事しましたよ〜
と言えば、やはり兄さんの目が輝く。

おいは違うばってん一緒に来た弟は小浜ん隣の◯◯さぁ

えー!◯◯だったら俺仕事終わって余りに暇でしょっちゅうジョギングしてましたよ

盛り上がる所に弟さんという先ほどのもう1人が帰ってくる。

おい、こん兄ちゃん小浜ん温泉に仕事で1か月おったげなぞ
◯◯までジョギングしよったんと

は?ジョギング?なして?

今度は四国で小浜談義で盛り上がる。

長崎の南の方に小浜という町がある。小浜温泉が有名。
小浜との不思議な縁は別の記事にいつか書くかも。
小浜温泉に仕事で1か月缶詰になった私は、マラソン好きな仕事仲間と夕方になると毎日ジョギングをして過ごした。海と夕陽が綺麗な町だ。

コンビニから戻った兄ちゃんに
やったじゃん乗れるってよ!と伝える。
自分だけ悪いっすよと言うが、関係あるか!
乗れ!と諭す。

昔は8台載せよったっさぁとはハーレー兄。
5台は予約ばってん、3台自由枠があったっさぁ。
やけん、予約も何もせんと来れば乗れる、位にしか考えとらんさぁ。

ふーむ。
私が初めて四国に渡った時がどうだったか思い出せないが、確かに私も過去予約無しで乗れているし、船が小さくなったと言う話は聞かない。
バイクに割くスペースがあるなら、車一台載せた方がお金になるとの判断か。
いつの時代も、バイク乗りは隅に追いやられ煙たがられる。

だがどうだ、今ここに産まれも育ちも仕事も違う、名前すら知らない4人が、それぞれの地元でもない四国で膝を突き合わせて旅の馬鹿話に華を咲かせている。
この団結力みたいなものは他には無い。
バイクで旅をしていて、私が最も好きな瞬間でもある。

カブの兄ちゃんと別れて船を見送る。
自分のすぐ前の人が割と早く乗れたものだから自分の番も早いと思っていた。
バイクの待機場には、5台分の枠線が引いてある。
それが2列。
先頭の5台の枠にバイクが5台停まっていたら、次の便は満席、乗れないと言う事だ。
2列目の5枠はその次の便だ。

しかしカブの兄ちゃんが乗ってから、10台の枠は埋まりっぱなしである。

日が暮れて、寒くなってきた我々は荷物から雨合羽を取り出して着込んでいる。
何せ港だ、火が使えない。

寒さに震える我々を他所に、何やら港の隣の商業施設でイベントでもやっているのか妙に騒がしい。
私も兄さん方も、明日の予定に間に合うのか不安で仕方がない。


香川の製麺所のおばちゃんと仲良くなって〜
あそこのキャンプ場はやめとけ〜
お遍路が〜
不安を忘れるように、我々も旅談義に饒舌である。

と、唐突に花火が上がる!

見ず知らずのバイク乗りが揃って花火を見上げて呆けている。
こういう思い出は死ぬまで忘れないだろう。

こんな事あるのか!
何の下調べもせずに行き先を決めて、まして思い付きで予約もせず来たものだから船に乗れない、みたいな悲しさの最中に。

多分、私は死ぬまでこの日を忘れないだろう。
この瞬間を共有したハーレーの兄さん方も、この先何処かで再会したら四国の港で船に乗れんで一緒に花火見た〜と言えば私を思い出す筈だ。

フェリーに乗れない焦り、みたいなものが吹き飛んでしまった。
ええい、もうどうにでもなれ。
もし帰れんかったら、姉に謝れば良い。


花火が終わると、周囲の道路が見る間に渋滞した。
いやらしい考えだが予約があっても渋滞で船に間に合わなければ私達にその枠が回ってくる。
こんなに他人の不幸を願う事があろうか、と兄さん方と笑ったが、その祈り?は通じず、神様は着々と枠を埋めていった。

23:30分が三崎港出発の最終便である。

22時を回った頃、兄さんがテントを張り出す。
今のところ空いている枠は2つ。
どのみち、枠が空いたとしても誰か1人は残るのだ。

おいは寝て帰るけんこのまま枠が空いとったらお前ら帰れや〜と兄
いやいやそれは、と弟&私

だが神様は椅子を2つしか用意しなかった。

23:30分私は弟さんと2人、フェリーに乗り込んだ。

周りの車はガラガラなのにバイクは5台だそうだ。
弟さんが随分船会社に掛け合ったがダメだった。
23:30、私達は三崎港を出港した。

先にも書いたが、船は70分で佐賀関港に着く。
その間も私達は疲れも忘れてバイクの事、旅の事、家族の事、そして港に残ったお兄さんの事を喋り続けた。

旅の終りはいつも寂しい。
弟さんと硬く握手を交わして別れた。
いずれまた、道の上で。


0:40私達は佐賀関港で別れた。

別府にいつもキャンプする所があるからお前も来いよ、と誘ってくれた弟さん、ありがとうございました。
いや、それ以前に三崎からあれ食えこれ食えと食べさせて貰って、本当にお世話になりました。
いずれ何処かで会ったらお礼をさせて下さい。


後は何処をどう走ったやら、記憶が曖昧だ。

福岡の実家に着く頃には夜が明けてしまった。
長く濃い1日だった。

朝には福岡の実家に着き、両親を連れて姉の家へ向かい、兄貴家族と姉家族で昼食を食べた。

ああ、また旅が終わった。

関門トンネル付近は連休だと大渋滞だった。
原付の通行料は20円。


各地で渋滞にはまり、
広島に入る頃には日が暮れてしまった。


泥のように眠り、5月5日子供の日、
私は福岡の実家を後にした。
明日は朝から仕事だ、広島に帰らねばならぬ。


長々と2泊4日の小さな旅の話にお付き合い頂き、ありがとうございました。
これで終わります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?