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今夜、150分の為の13年_2023年3月29日の日記

大人になってから自らの目標を飛び越えて夢が叶う体験というのはそうそうない。部活動の大会で優勝するとか、コンクールで輝かしい成績を残すとかそういう成功体験からもほど遠く、ましてや学校を卒業してからはいわゆる"社会のレール"に乗れているようで時折逸脱しながらここまで来てしまった。ただ、自分の作品を発表したり、個展を開催したりと人生において普段なかなかできない貴重な体験をしていることも事実だ。やりたいことや目標が少しずつ実現できているけれど、しかしながら自らの意思ではどうすることもできない、それでもいつかどうか叶ってほしい夢があったりもする。例えば、"自分の好きなミュージシャン同士の共演をこの目で目の当たりにする"だとか。


東北新幹線が東京へ近づくにつれて、寒色がかった車窓の景色が桜の淡いピンク色や菜の花の黄色に少しずつ染まっていく。東京で過ごす桜の季節は10年振りだろうか。Apple Musicのプレイリストを指でなぞりながら、今日に至るまでの日々を思い出してみる。13年、色々あったな。
"人は10代の頃に聴いた音楽を一生聴き続ける"という言葉をTwitterか何かで見かけたのはいつだったか。その言葉通り、高校時代に出会い、好きになった音楽は大人になった今でも自分の中で根幹を成している。中でもフジファブリックとくるり、この二組のロックバンドと出会わなければ今の私は確実に存在しなかったといっても過言ではない。これまで同じフェスやイベントに出演する機会は度々あったのに、ステージ上で一緒に演奏することは2010年以降一度もなかった。あれから長い年月を経て今日、二組による対バンが開催される。テスト用紙の端っこに「フジファブリックとくるり対バンしてほしい」と書き続けていた16歳の時からの夢がとうとう叶うのだ。

以前からそれぞれのバンドの存在は知っていたけれど、好きになったのは2010年5月。高校入学をきっかけに聴き始めた10代向けのラジオ番組にて、ほぼ同じタイミングで二組それぞれの特集がOAされた。「あ、あのバンドだ」と、ようやくちゃんと聴いた音楽に衝撃を受けたのと同時に、目の前にただ曖昧に広がっていた景色が鮮明に色づいていく。私の青春が、人生が始まった瞬間だった。
その2ヶ月後、2009年に亡くなられたフジファブリックのボーカル・志村正彦さんの故郷で大規模なライブイベント『フジフジ富士Q』が開催され、フジファブリックと縁あるミュージシャンの一組としてくるりが出演し、二組によるセッションが実現した。当時、宮城の片田舎に住む高校生には開催地である山梨県富士吉田はあまりに遠く、現地に参加しているファンの方々によるライブレポをTwitterを通して涙を飲みながらひとつひとつ食い入るように読んでいた。後に映像化されたが、仕方ないとはいえ、やはり実際に目撃できなかった後悔はいつまで経っても消えなかった。幸運にもそれぞれのバンドは歩みを止めることなく現在も活動し、大人になってからもツアーやフェスがある度に足を運んでいる。

フジファブリックによる対バン企画『フジフレンドパーク』は2014年からスタートし、毎年開催が発表される時期が来る度にあのテスト用紙の端っこに書いていた一文を「今年こそ」と念じていたが、気配はありそうなのになかなか実現することなく長い年月が流れていた。そうして何周も季節が巡った2023年1月、スマホに表示された通知を開くと対バン企画開催の発表があり、その東京公演のラインナップに待ち焦がれていた"くるり"の文字が並んでいた。どうにも堪らなくなって住み込みで働いていた宿の屋上へ駆け上がり、見間違いではないよねともう一度スマホの画面を確認しては一人咽び泣いた。嬉しくて泣いたのは生まれて初めてかもしれない。
とはいえ、あの感染症が未だに蔓延し、いつ何時何が起こってもおかしくないこのご時世。祈るように毎日を過ごし、開演時間を迎えるまで本当にライブが行われるのか不安で気が気でなかった。それでも久々に制限のないフロアには満杯の人、人、人。皆が皆それぞれのバンドの歴代のグッズを身に付けていて、中には当時のフジQのTシャツを着ている人もいた。もうすぐ夢が叶う実感がないままに、開演時間を少し過ぎた頃、会場はゆっくり暗転しその時を迎えた。


楽曲が披露される度、その曲にまつわる思い出が自然と蘇ってくる。『TOWER OF MUSIC LOVER』や『TEENAGER』を手に取った実家近くのTSUTAYA。初めて自ら稼いだバイト代で買ったCD『everybody feels the same』と、その包装のビニールを剥がしたバイト先の休憩室の匂い。部活動に向かう道すがらの景色。バンドとともに生きてきた日々が私の中に確かに存在していた。アンコールで二組が同じステージに立ち一緒に音を鳴らした瞬間に湧き上がる歓声。始まったのは、あのフジQで二組のセッションとして披露した『Sunny Morning』だった。いつも映像で観ていた景色が、現地に立ち会えなかった長年の後悔が、当時よりもさらに格好良い新たな音とともに塗り替えられていく。
正真正銘、13年間願い続けた夢が叶った瞬間の中に立っていた。楽しい時間はいつか終わりが来るからこそその美しさや尊さがより際立つとはよく言ったものだけれど、そんな一言なんて今はどうでもいい。どうか一秒でも長く続いてほしい、無理だとわかっていてもこの瞬間が永遠に続いてほしいと心の底から本気で願った。
涙とニヤケで顔がぐちゃぐちゃになりながら、待ち侘びていた音に呼応するが如く手をめいいっぱい上に挙げ、身体に有するすべての感覚をフル稼働させて目の前に広がる光景をできる限り焼き付けた。願い続けた13年間という年月に対し、それが実現した約150分という時間はあまりにも短いと言う人もいるかもしれない。けれど、私は今夜この思い出を携えながら今後の人生を生きていける気がするのだ。これほどまでの強い思い入れに「今夜を超えるライブがこれからあるのかな」という気持ちになっているが、今夜のはそれとして、それでも"いつか想像を超える日が待っているのだろう"とくるりは歌っているし、近い将来きっと自ら超えていくのだろうとも思う。そしてフジファブリックとくるり、この二組のバンドはいつだって未来を提示してくれる。ならば、今日みたいな夜を再び笑顔で迎えるべく頑張ってもう少し生きてみようと小さく心に決めた。生きることは、時につらいことがあったとしても、生きたその先で明るく優しい色が色付けられるらしい。ライブが終わり万雷の拍手の中、山内さんと岸田さんが互いを讃えるように抱きしめ合った瞬間、二人それぞれに流れたこれまでの時間を想った。

今まで生きてきてこんなにも「生きていて良かった」と思えたことはない。これまでの私は今日この夜の為の命だった。その命が、ライブハウスの外へ出た後もちゃんと続いていて温かい。1週間後私は29歳になり、志村さんが生きた年齢と並ぶ。このタイミングで夢が叶ったのは何の巡り合わせだろうか。相変わらず不甲斐ない大人だけども、あなたが遺してくれた音楽に今も生かされている。いつの日か会えた時には、どんな話をしようか。駅までの道すがら、遠くレインボーブリッジの夜景がやけに輝いて見えた。

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