映画『アナザーラウンド』 感想とあらすじ
※以下文章はネタバレを含む。個人の感想であり各メモの真偽は保証しない。
英題のAnoter round? とは、もう一杯どう?という意味。
原題のDrukは暴飲、無茶な飲酒、一気に飲んでわっと騒ぐ飲み方の意。
デンマークのお国事情が知れる作品で興味深かった。それを踏まえないとただの浅はかな大人たちとヤバい子どもたちの話にも取れてしまうかも。
私には最後のシーンは、騒いでいても犠牲者のことが頭の大部分を占めて切ないと感じられた。
だがどうもそれは間違った受け止めだったようで、実際はそういう意図よりも前向きなメッセージで作られた作品らしい。
本作が捧げられているアイダとは監督の亡き娘で、このテーマのヒントを与えた。
主演マッツの娘役として撮影を開始したが4日後に交通事故に遭ったそう。
作品の通りデンマークでは飲酒の年齢に関して法規制がない。
ローティーンでも飲酒は普通で、飲酒するのは不良というイメージも存在しない。
冒頭の生徒たちが湖周りで大騒ぎするのも、特に学級崩壊しているとか著しく堕落した若者という描写でも何でもない。みな受験に真剣だが別にそれと矛盾しない。
飲酒とは複数人でするもので、静かな店で一人肴を味わいながら、という文化はないのだとか。
そもそもビールなど酒類がかなり安価。
ラストに登場するトラックはstudenterkørselといい、高校生がセーラー帽をかぶり卒業を祝って飲酒してクラスメイトの各家を周って騒ぐという伝統。
それにしてもマッツの身体能力が強烈過ぎた。
ここで元ダンサーのスキルを発動するには唐突過ぎる。
マッツ自身も当初は反対したが押し切られたそう。
こんなに踊れる一般人はいないから、逆にその現実離れした感じが狙いなのだろうか。
ただ少なくとも鮮烈な印象を残すという意味では成功を疑わない。
作中の血中アルコール論とその哲学者は実在。
あらすじ
高校教師のマーティン。
中年となり生活は単調。若い頃と比べて自分が退屈な人間になったと感じている。
生徒からの支持も全くない。
妻は子育てに追われ、かつての愛情は感じない。
教師仲間たち四人との食事会。
酒を断り炭酸水を飲むマーティン。
音楽教師の友人は、物事を楽しむ気持ちが欠けていると指摘。ある研究者によると、人間は常にワイングラス1~2杯程の血中アルコール度をキープすると精神が安定するらしいと説いた。
そして酒を薦められると、少しのつもりがどんどん飲んでしまう。
酔いが進み、思わず涙をこぼして最近の虚しい気持ちを吐露。
友人たちは若い頃の優秀で愉快だったマーティンの思い出を語る。
そして地べたを転げ回り童心に帰って朝まで遊んだ。
久々に解放された気分に。
学校でこっそりウォッカを飲んだ。
帰宅するところに居合わせた音楽教師はそれを知り、他の友人たちを再度招集。
例の常時アルコール度を保つ実験を自分たちで試してみることに。
マーティンは授業で少しずつ生徒の気を引くことに成功。
友人たちも無難な授業を止め一工夫してみた。
マーティンたちは日々の気分が上向きになり生活が少しずつ好転。
そこで友人はもっとアルコール度を上げてみようと提案。
やがてマーティンは歩行がおぼつかなることが。
体育教師は校内に隠した酒瓶が度々見つかるように。
音楽教師はさらに新たな理論を持ち出し、アルコール度最高値を試そうと提案。
マーティンは夫婦間に良い変化があったので、家族のため実験は降りると宣言。
しかし帰り際一口だけ飲むとそのまま居座ってしまう。
四人はひどく酔う。よろよろスーパーへ出かけて顰蹙を買い、釣りのつもりででたらめに水中に網を突き刺し、夜がふけるとクラブで大騒ぎした。
翌朝、マーティンは路上で倒れているところを息子が連れ帰った。
家の空気は重い。最近いつも酔っていることを家族全員知っている。
問いただされて妻と喧嘩になり家を飛び出した。
友人宅に行き、またみんなで酩酊。
四人は生活に大きく支障をきたしているので、ついに実験の終了を決断した。
職員会議。
これまで何度も酒瓶が見つかっていることが挙げられる。
そこに体育教師が酩酊して登場。空気が凍りつく。
マーティンに連れ出される。
一人暮らしの家を尋ねると俺は大丈夫だと言われ、夫婦仲を応援されて帰された。
マーティンは妻に会い喧嘩とこれまでのことを謝罪したが、席を立たれる。
さすがに翌日は酒なしで学校へ。
生徒たちは卒業試験の結果発表。
しかし体育教師の彼が現れない。
酔って救命胴衣を着けずボートに乗り、そのまま帰らなかった。
三人で彼に献杯。
他の二人は新しく進み始めたらしい。
マーティンにも妻からメールが届く。
踊ろう。人生は続く。