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「論語」から、中国デジタルトランスフォーメーションを謎解きしてみよう。第74回

本シリーズのメインテーマは「論語」に現代的な解釈を与えること。そしてサブストーリーが、中国のDX(デジタルトランスフォーメーション)の分析です。中国の2010年代は、DXが革命的に進行しました。きっと後世、大きな研究対象となるでしょう。その先駆けを意識しています。また、この間、日本は何をしていたのか、についても考察したいと思います。
 
郷党十の一~三
 
郷党十の一
 
『孔子於郷党恂恂如也。似不能言者。其在宗廟朝廷、便便言。唯謹爾。』
 
孔子は郷里では、控え目だった。話すことができない人のようだった。しかし、宗廟や朝廷においてはすらすらと話をした。ただ謹厳だった。
 
(現代中国的解釈)
 
ファーウエイは、米中貿易戦争の象徴となった。2021年9月末、孟晩舟副会長が拘束されたカナダから帰国した様子は実況中継され、まさに凱旋将軍そのものだった。しかし、父の創業者・任正非は、表舞台に立つには性に会わないのだろう、インタビュー嫌いで、あまり情報発信していなかった。さらに中国政府が後押ししていたのは、国有企業のZTE(中興)の方で、ファーウエイではなかった。ファーウエイは、上場もせず、控え目に、こっそりやるのを好んだ。しかし孟晩舟事件により、否応なく表舞台に引きずりだされ、世界中の注目を集めた。
 
(サブストーリー)
 
今やファーウエイのニュースが、絶えることはない。天才を高給でスカウトする「天才少年プロジェクト」、自動運転への関与、消費者業務を「終端業務」と名称変更し、ソフト面に注力。本拠地・深圳市のカーボンニュートラルへの関与。独自OS・鴻蒙(Harmony)の開発者の退社など、引きも切らない。控え目だった時代は、彼方へ去った。
 
鴻蒙とは、ファーウエイの自社開発OSだ。2016年5月、プロジェクトを立上げ、2018年初めに基本型がほぼ完成した。2019年5月、ファーウエイは米国の制裁で、グーグルOS、アプリとも一切使えなくなった。そこで鴻蒙のリリースを急ぎ、同年8月にHarmony OS 1.0として発表、2021年6月、2.0を発表した。2022年4月の段階で、Harmony OSを搭載したフデバイスは2億4000万台、世界中のエンドユーザーは7億3000万人という。IOSやアンドロイドと戦うには、全く不十分だろう。その開発者で“鴻蒙之父”と呼ばれる王成彔氏がファーウエイを退社した。Harmony 3.0の発表が遅れているさなかである。
 
報道によれば、別の会社に移り、オープンソースとしてのHarmony OSへの二次製品開発に携わるという。とすればHarmony OSの完成度には、自信を持っているのかも知れない。引き続き注目だ。
 
郷党十の二
 
『朝与下大夫侃侃如也。与上大夫言闠闠如也。君在踧踖如也、与与如也。』
 
朝廷で下級の大夫と話すときは、和やかだった。上級者と話すときは慎み深かった。君主がいらしたときは、うやうやしく、悠然としていた。
 
(現代中国的解釈)
 
中国では、見かけ以上に、大きな権力を持つ組織がある。政府では、発展改革委員会という役所が、経済政策全般に関わっている。政策立案だけでなく、各省に地方組織があり、実行させる力もある。商務部など行政各部の事実上、上級にある。例えば、山東省の発展改革委員会は、海外進出を考える繊維企業に対し、友好国のカンボジアへ行くよう薦めていた。もちろん、許認可、税務などの優遇、特典付きである。
 
(サブストーリー)
 
民間企業の代表、アリババにはパートナー制度というものがある。メンバーは、創業者の馬雲以下31名。創業メンバー“十八羅漢”のうち6名が残っている。その他25名は、入社後に多大な貢献をしたメンバーである。現アリババCEOの張勇(2007年入社)や、アント・グループを大発展させた彭蕾(十八羅漢)などがいる。グループ各社の取締役を事実上ここで決めている。もちろん主導権を取っているのは馬雲で、引退後も保ち続けているパワーの源泉だ。そのため快く思わない人は多く、企業統治の面からも、取締役会に屋上屋を重ねるものとして批判は多い。ただし、この制度のおかげで、間違いなにないグループ運営ができている、という面もある。組織図外の権力装置には違いない。
 
郷党十の三
 
『君召使擯、色勃如也、足躩如也。揖所与立、左右其手、衣前後襜如也。趨進翼如也。賓退、必復命曰、賓不顧矣。』
 
君主が孔子に賓客の接待を命じたとき、顔色を改め、足取りは重々しくなった。同僚に会釈するときは、その手を左右に向け、衣服の前後を整然と動かした。小走りのときは翼がはえたようだった。賓客が退出した後は、必ず「お客様が見えなくなるまでお見送りしました。」と報告した。
 
(現代中国的解釈)
 
中国人は来賓の前では、思い切り見栄をはる。企業のパーティーでは、それが如実に表れる。地方の共産党幹部や、取引先の社長クラスを必ず招く。そして、これまでの実績を、これでもか、としゃり続ける。挨拶というより自己主張だ。賓客に対する感謝、皆様のおかげをもちまして、に相当する部分は、あるかないか、ほんのわずかだ。中国では、それでよいのである。自分を大きな人物に見せることが第一だ。なぜなら、おいしい案件は、強そうな人物に集まるからだ。
 
(サブストーリー)
 
例えば不動産王、大連万達の王健林である。王健林は1954年、四川省広元市の生まれ。年齢をごまかし15歳で陸軍入り。翌年、吉林省鴨緑江辺軍に配属となり、活動の場を東北へ移す。1978年、小隊長に昇進し、大連陸軍学院に入学。エリートコース入りした。しかし1986年の軍の大規模リストラの際、自ら手を挙げ退役した。
 
軍の用意した大連市西崗区人民政府辯公室主任というポストへ着く。親方日の丸のクビにならない特等席だったが、王は、再び手を挙げて、赤字の第三セクター、西崗区住宅開発公司の社長に就任した。ここで、立ち退きを伴う難しいプロジェクトを完成させ、脚光を浴びる。不動産王への第一歩だ。
 
さらに1992年、国有企業改革の先頭に立ち、同社を民間企業、大連万達房地集団公司に改組した。やがて万達の開発力とそのスピードは評判を呼び、各地方政府から依頼が舞い込むようになる。さらに総合商業施設の「万達広場」の開発に着手、商業、文化、不動産、金融の総合企業へと成長した。王健林は、フォーブス誌の中国富豪ランキングで、2013年、2015年、2016年と3度の首位に輝き、中国富豪の象徴となった。よい案件は、銀行融資を伴い、強い者へ集中する。
 
しかし、好事魔多し、2017年、当局の海外投資規制により、瞬く間に王座から転落した。このとき、不動産開発から、管理業務へと舵を切り、資産を軽くした。せざるを得なかった。しかしこれが、今となって幸いした。2020年設定の3つレッドラインには、ほぼ無傷でいられた。叩かれたのは王健林に代わりナンバーワン富豪となった、恒大の許家印だった。何が幸いするか分からない。
 
 

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