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第9回 れいわ新選組について考える / Youtube用台本


イントロ

このチャンネルは、1978年生まれの就職氷河期世代の当事者である私が、目前に迫ってきた50代を見据えて「これから」を考える動画を投稿しています。

今回は「れいわ新選組」について、考えていく動画です。

前々回の動画では、禅の考え方をベースにして世界ではなく自分を変える生き方を模索しました。

前回の動画では、日本を捨て海外移住に踏み切る選択肢について検討しました。

そして今回は、日本を変えるための正攻法である政治参加について考えてみたいと思います。


改めて「れいわ新選組」ってどんな政党?

れいわ新選組は、2019年4月に山本太郎(やまもと たろう)氏が立ち上げた政党で、本動画を公開した時点で8人の国会議員が所属しています。

特定の支持母体を持たず、政党交付金以外は個人献金が主な収入減です。

主な政策は、消費税の廃止、ベーシックインカムの導入、大企業への課税強化と、庶民の願望を抜け目なく網羅しています。

また原発については即時廃止を訴え、気候変動対策を重視する環境保護政策にも力を入れています。

障がい者や高齢者、生活困窮者など、社会的弱者の声を代弁することを強調しています。

私個人としては、筋ジストロフィーを患う舩後靖彦(ふなご やすひこ)氏や、重度障害を持つ木村英子(きむら えいこ)氏を当選させたニュースが、初めてはっきりれいわ新選組を認識したきっかけだったと記憶しています。

SNSやインターネットの活用にも積極的で、政党名で検索をかけると、党公式や支持者の書き込みで溢れ、多少のアンチは物量で押し流してしまうほどの勢いです。

山本太郎氏の演説や講演会での語りは、歯切れよく理路整然としていて聞きやすく、その主張に賛否あれど、ひとまずは手や足を止めて聞き入ってしまう魔力があります。

全国各地に応援団体があり、勉強会や、チラシのポスティング、街頭演説などを行い、数多くのボランティアが党を支えています。


スキャンダルがあっても関係ない「無敵の人」達の集団戦

れいわ新選組のスキャンダルで有名なものは、山本太郎氏が天皇陛下に直接手紙を手渡した事件でしょうか。

めちゃくちゃバッシングされていましたが、おそらくそういう負の話題性も計算しているので、当人としては大成功だったのでしょう。

選挙演説も、時にほかの政党の候補や支持者に過激な言説を投げかけ、それが報道されることもあります。

選挙特番でも、池上彰(いけがみ あきら)氏であろうと太田光(おおた ひかり)氏であろうと、決してひるまない態度にブレはありません。

またあえて名前は出しませんが、議員や候補者の中には、過去に問題発言やスキャンダルを起こした人物もいて、キャンセルカルチャー真っ只中の現代において、正面から戦いを挑むスタイルです。

彼らの立ち振る舞いは、「無敵の人」達の集団戦といった様相で、守るべきもののない強さを最大限に発揮して戦っています。

またXやYoutubeなどでは、もっと洒落にならない犯罪レベルのスキャンダルを告発している人の発信も見つけられますが、これらは証拠の提示がないものも多く、本動画でそれを紹介することは差し控えます。


就職氷河期世代の声を最もインテリジェンスに代弁する政党を応援する楽しさ

しかしながら、単なるイロモノ政党かというと、全くそんなことはないと私は考えていて、山本太郎氏やほかの議員たちも、日経やNHKの取材とあらばスーツをパリッと着こなし、理詰めで主張を展開するインテリジェンスを備えています。

まさに市民の代弁者といったところで、口下手な庶民の代わりに、「漠然とした生きづらさ」を、政策議論のテーブルに載せるに足る形に整えて言語化してくれます。

さらに、ボランティアとして参加するのも非常に簡単で、公式サイトのフォームにちょっとした個人情報を入力するだけで、メルマガやらLINEやらDiscordのお誘いが秒で飛んできます。

そちらに登録すれば、あっという間にあなたもれいわ新選組の中の人です。

こんなの、楽しくないわけがないんですよ。

会いに行けるアイドルならぬ、会いに行けるカリスマ党首が山本太郎氏なわけです。

一度中に入ってさえしまえば、そこには仲間がいて、カリスマが作った物語があって、その物語に直接参加できるプレーヤーの一人になれるのです。

そしてれいわ新選組の政策は、実現すれば、我々庶民にとっては良いことばかりです。

消費税はなくなり、ベーシックインカムが導入され、大企業の内部留保を税金として吸い上げることに成功し、危険な原発は停止して、地球温暖化も食い止められます。

あなたが望んでいても行動に移せなかったあれやこれやが、仲間とカリスマに支えられながら、ついに実現に向けた一歩を踏み出せるのです。

もう一度言います。

こんなの、楽しくないわけがないんですよ。


親族に多数のカルト教団の信者がいる私が思うこと

ところで、今は亡き私の両親は、日本でもかなり信者の数がいるカルト教団の信者でした。

両親が結婚したのも、同じ教団の信者同士だったからです。

なので当然、両家の親族にも多数の信者がいます。

私は全くその教団の教義が信じられず、両親が亡くなった後は信者の親族とは絶縁しています。

親族の全員が信者ではないのですが、面倒なので全員と絶縁しました。

この教団も、神の名のもとに、戦争をなくし、グローバルなコミュニティを構築し、世界平和を実現することを目指しています。

やはり、これも教義に完全に染まり切って疑いさえしなければ、こんなに楽しいことはないと思います。

信者たちは本当に幸せそうです。

家族よりも信頼できる仲間もいます。

失われたローカルな地域社会も、ここでは健在です。

そして部外者にも基本的には寛容で、親切で、幸福度も高い人たちなので、明るく親しみやすい人柄の人も多いのです。


しかし彼らが手のひらを返す瞬間はとても恐ろしい

ですが、このカルト教団の中で幸せになるには、一つの絶対条件があります。

それは、神様を信じることです。

世界平和は素晴らしいことだ。

戦争なんて撲滅するべきだ。

その理念に共感したとしても、神様にお祈りを捧げるとご利益を賜れると信じないことには、彼らの仲間にはなれないのです。

そして彼らの、一番大切にしているものが否定された時の攻撃性はすさまじいものがあります。

まだ親族同士の交流があった頃、正月になるとみんなで集まって宴会をしました。

その席でよせばいいのに、宗教についての論争を始めるのです。

宗教を信じる派閥と、そうではない無神論者の間で、乱闘が始まります。

文字通りの乱闘で、流血もするし、食器はあちらこちらに飛び散っていますし、部屋の隅で泣いているおばさんもいるし、大の字で伸びているおじさんもいる。

小学生の私は、その光景を目の当たりにして、この世から戦争をなくすのがどれだけ難しいかを実感したのでした。


なんにせよ組織や集団は個人のために存在しているわけではない

その集団を結び付けている信条や物語が強力であればあるほど、そこに異論を挟みこまれた時の反動は大きいものになります。

私は生来のひねくれもので、何か特定のイズムやイデオロギーを、そのまま受け入れられる性分ではありません。

それは、カルト教団でも、サークル活動でも、職場でも、政治活動でも同じことです。

どうしても、感じた疑問をそのままにはできません。

特に人を強烈に引き付ける極端な思想や、妙に耳当たりの良すぎるイデオロギーには、反発を感じないわけにはいかない性分です。

個人対個人であれば、双方が納得するまで議論をすることも可能かもしれませんが、組織と個人間ではそのような前提の議論は不可能です。

質疑応答や会議の時間は有限だからです。

一定のところで議論は打ち切られ、あるいは最初から議論を拒否されて、私がその組織に従属するか、去るかの二択を迫られます。

当たり前の話です。

組織は達成すべき目標のためにマンパワーを結集するのが目的であって、個人の哲学的な欲求を満たすことが目的ではないのです。

組織や集団によって一定の閾値がありますので、疑問を表明した瞬間に排斥されるということでもありませんが、組織や集団のアイデンティティの核心に近づけば近づくほど、そこに一石を投じるリスクは大きくなります。

神様を信じることができなかったら。

カリスマ党首を信じることができなかったら。

去るべきは私なのです。


いっちょ政治なんかに参加しちゃいますか?

社会に不満があった時、政治に参加するというアプローチは一周回って王道です。

なんだかアンチのような物言いをしてしまいましたが、れいわ新選組は就職氷河期世代の当事者が支持する政党として、最有力候補の一つであることは認めるところです。

よくれいわ新選組への反対意見として、そんな夢みたいな政策を実現させたら日本が壊れるという主張を目にします。

今さら消費税を廃止したら国家の予算が成立しなくなる。

ベーシックインカムなどが実現したら、今以上に労働市場から退場する者が増えて、人手不足問題が深刻化する一方だ。

たしかにそれはその通りなのかもしれませんが、何も日本人全員が山本太郎氏に心酔しているわけではないので、どれだけれいわ新選組の声が大きくなろうが、それのカウンターとなる言説は必ず生まれます。

であるならば、極端であろうとも夢物語であろうとも、れいわ新選組への参加を通して自分の気持ちを正直に社会に表明していくことが、悪であることなどありえません。

反対意見を唱える勢力が現れることを信じて、自らのイデオロギーを遠慮なく主張するのが民主主義の根底にあるルールではないでしょうか。

私も歳を重ねるごとに、モラトリアムに浸っているのも大概にしないとな、と焦りにも似た気持ちが大きくなることを自覚しています。

何もかも斜に構えて、振り返ると結局何もしていなかったというのも寂しい話です。

偏屈な自分を抑えても、そろそろ大きな集団や組織に身を寄せて、その中で自分の信条を少しでも形にしていく生き方に順応した方が良いのかもしれません。

平均的な寿命まで生きると想定すると、まだ絶妙に長い人生です。

少なくとも20年、30年と残っています。

はてさて。

あなたはどういう命の使い道を考えていますか?

いっちょ政治なんかに参加しちゃいますか?

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