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【メソポタミアの統一】古代オリエント世界  3/14 

前回まで

前3500年頃から
人口が増加し始め
シュメール人による
都市国家が成立。
同じ頃に
アッカド人も
シュメールの北側(チグリス川の中流)に
都市国家を作る。

アッカドの侵攻 2300

都市国家間の争いが絶えぬ中
前2300ころ
アッカド人は
シュメールを征服し
後にメソポタミア地域を統一。
統一国家が成立する。
サンゴン1世のころ。

アッカド滅亡 2200

前2200ころ
山岳民のグティにより
アッカドは滅亡する
そもそも領土拡大しすぎた。
ナラム=シン王のときは
東地中海まで行ってたとか。
だから北から攻められる。
そもそも法や治水なども含め
統治構造が整備されてなかったのではと思われる。

シュメールの再興 2100

ウル第3王朝のころ
シュメール人により
メソポタミアは統一される。
主に度量衡や太陰太陽暦を普及させる。
これらは知性の高いシュメール、という感じだが
こういうのが国家の機能として
重要になっていく。

シュメール滅亡 2000

それでも
遊牧民アラム人により
シュメールは滅亡する。
アッカドの侵攻にもしぶとく
生き残ってたのに…。

混乱期 1900

統一国家が崩壊すると
小国分立するのは
歴史では定石。

バビロン王朝 1800

メソポタミアをまた統一
小国分立では
争いが絶えない
やはり
統一国家が必要。
そして法による支配が肝心。
これは漫画キングダムでも
同じようなことを言っている。
人類社会のコトワリなのだろう。

ハンムラビ王 1700

バビロン王朝 第6代王の
ハンムラビは
運河の建設を全土に広げ
治水灌漑の整備をし
一方で法の支配を
全土に広めた。
ようやく司法に関するものが出てきた。
もちろんそれまでもあったのだろうけど、、
ハンムラビ法の復讐法は有名。

感想

年代が出始めている
表記が紀元前3世紀末とか
紀元前2500年頃とか
統一感がなかったので
ざっくり数字を当ててみると
時系列が整理された。
そうやって見ると
100年単位で興亡した
メソポタミア。
シュメール人の知性を軸に
いろんな地域から侵攻を受け
シュメールの統治はなくなっていくが
彼らが培った知性は
アラム人の国家統一事業に
反映されていく。
つい一月前までは
木から降りて石を投げ始めていたのに
もう法律を作っている。
農耕、灌漑、文字、国家、
文明が各地で芽生えていく。
メソポタミアが
今後どうなっていくのか
何を生み出していくのか
他の地域はどうなっているのか
また楽しみになってきた。

まとめというか
イメージの練習過程のメモ
年代表記がわかりにくかったので
"ころ"として
並べてみたら
結構わかりやすくなった。
ただし正確性はない。

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