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短編小説「治せないなら食べればいいじゃない!」

「怪我を食べる医者」を原案として

寝袋男から膨食家達に捧ぐ

ワトソン博士はカレンダーを睨んでいた。
自分の持つこぢんまりとした診療所に、最後に患者が顔を見せた日が思い出せなかったのだ。一週間前?いや、先月のカレンダーを破る時に「最近お暇そうですね」と看護師のメアリーに嫌味を言われた記憶はある。そう!記憶がある!!!私の灰色の脳細胞が機能していないわけじゃない。本当に患者が来ていないのだ!ワトソン博士は引き出しから双眼鏡を取り出すと窓辺に立って町を見下ろした。診療所は小高い丘の上にあり、町の全景が見渡せた。何かしでかした覚えはない。だとしたら知らず知らずの内に住民の殆どが引っ越したか、病気知らずのヒット商品が売れに売れているのかもしれない。
しかし町には人や車が行きかい、耄碌した老人たちはのそのそと歩いているし、子供ははしゃいで盛大に転んだりしている。何故だ。町はいつも通りじゃないか。

「バードウォッチングですか?」
ワトソンが驚いて振り向くとメアリーが真後ろに立っていた。
「いつからそこにいたんだい!?」
「稼ぎがないですものね、夕食の材料もそうやってあくせく探さないと」
メアリーが弓矢のジェスチャーをする。
「どうして患者が来ないのか、町を観察していたのだよ。」
メアリーは大きい目を更に大きく開いた。
「マァ!先生ご存知ないんですか?先月この町になんでも治してしまうお医者様が越してこられたんですよ!しかも若くてなかなかのハンサムでした。」
「ハンサムでしたって、君その診療所に行ったのかい!?私に断りもなく!?具合が悪いならここで診せればいいじゃないか!」
「違いますよ、雇ってほしいと申し出に行ってきました。」
ワトソン博士はめまいがして長椅子に身を委ねた。
メアリーは毛ほどの関心も寄せずに欠伸をして伸びをした。
「それならさっさと出ていき給え。私に用なんかないだろう。」
「バカおっしゃい!そんなに人生甘くないですよ。今求人募集はしていないそうです。確かに可愛い双子の看護師がいましたし、手は足りているみたいです。それにハンサムなんです。ハンサムってさっき言いましたっけ?」
「出てけ!!もう一人にしてくれ!!!」
メアリーは肩をすくめてドアへ向かう。
「そうだ、一つ質問があります。」
「なんだね?」
「患者が来なくても私の給料は変わりません。」
「そりゃ君質問じゃないだろう。」
「良かった、これだけ暇でお金貰えるなら転職しなくて良かったです!」
「私はまだなにも」
パタリとドアが閉じ、30秒前に叫んだ希望が叶う。
ワトソン博士は診療室でポツネンと一人になった。


「ここだな。」
ワトソン博士は"噂の診療所"を確認すると、帽子を”左手”で目深に被り直した。どんな医者か、この”手”で確かめてやる!!!

1時間前
「メアリー、何もそこまでしなくても…。」
「こういうのはリアリティが大事なんです。あのハンサムハイパースーパーデラックス名医に掛かれば仮病なんてすぐにわかってしまいます。さぁ、何処を折りましょうか!?」
メアリーは心なしかワクワクしている様子でハンマーを持った方の肩をぐるぐる回している。
「何も折らなくても良いだろう。打撲くらいで。この辺をスコンと一発叩いてくれ給えよ。あざがあれば、」
患者が来なくても医者である。手は大事にしたい。そこで太ももの辺りをポンと叩いたのだが、メアリーにそんな気持ちは1mmも届かなかった様で、いかづちが垂直落下した様な衝撃が手の甲に奔った。
太ももを叩いた右手、利き手である。スコンどころではない。
感覚的にはゴシャッ!である。もとい誤射であった。
泣き叫び、利き手を砕かれた怒り狂う私に、メアリーは微笑んだ。
「彼が全部"ペロリ"と治してくれますからご安心を!」

現在
「ごめんください…。」
診療所内はガランとしていた。
人気というのはメアリーのデマか?
待合室にはまるまる肥った男が一人ソファーに寝転んでいる。
受付らしきカウンターにも人気はない。
「おっと…ごめんなさい、もう今日の診療はおしまいなんですよ、うっぷ」
声のする方を向くと、先ほどの肥った男が大儀そうに身体を起こしていた。
よくよく見ると顔はほっそりとしていてなかなかの二枚目、投げ出された四肢もすらりと長く伸びている。その中央に位置する腹だけがまるまると肥っていた。よく見ると白衣を着ている。
「アナタがドクターですか?」
「そうね」「いかにも」
子供の様な声が二つ聞こえてきた。
先ほど誰もいなかったはずの受付に二人の看護師。まるで瓜二つである。
メアリーが言っていた双子とはこの二人のことか。年齢と性別を測りかねる。仮に「彼ら」としておく。彼らは少々無機質じみた笑みを浮かべてワトソンを見つめていた。
「患者さん?」「手を怪我してる」
「折れているね」「大変だ」
「診療時間は終わってるけど」「彼はまだ入りそうだし」
彼らは矢継ぎ早にそう言って微笑み合うと、ワトソンを診察室へ案内した。
少々気圧され気味に診察台に固定される。
「ではドクター」「お願いします」
黄色い笑い声が二つ響く。しかしなかなかドクターが入ってこない。
しびれを切らしたように双子が出ていく。
"無理だ、もう入らないよ”という小声がドアの向こうから聞こえてくる。
暫く問答するような声が交互に聞こえ”わかった!わかりました!食べます!!”というドクターの投げやりな声が聞こえてきた。食べます?
「お待たせしました」「準備はいいですか?」
ドクターが診察台に近づく。謎の緊張感を与えられているせいか、手の痛みは更に増していた。
白衣を見ると症状が和らぐ患者は少なくない。
しかしこの時のワトソンはその逆だった。寧ろこの医学の心得があるのか分からない謎の三人組に囲まれ、不安と恐怖、実際的な痛みで脂汗が噴き出していた。
「いただきます」
男は確かにそう言った。
そして紳士が淑女の手にするベーゼの様に、ワトソンの手に優しくそっと口づけた。
唇からぬらりと舌が滑り出し、皮膚に這う。
男は目を瞑り、何かを探る様に舌を走らせる。
そして意を決したように勢いよく歯を立てた。
ワトソン博士は混乱の中、歯を食いしばって来るであろう痛みを待った。
何か猟奇的で頭のおかしい集団に拘束され、きっと無事では帰れない。
そう確信していた。通常であれば喚いたろう。
しかし、どうだ。
痛みが少しずつ引いていく。否、剥ぎ取られていく感覚だった。
怪我が食べられている…?
「美味しい?」「歯ごたえありそう」
「すごい」「まだ入る」
双子が両サイドからドクターに囁く。
ドクターは酷く苦しそうな表情で、息も絶え絶えに手の甲を食んでいる。
ひと食みしては咀嚼し、飲み下す。喉が隆起し、その白い首に血管が浮き上がる。そして腹部の膨らみはその高さを増していった。
そして最後のひと食み。
「ぐぷっ…」
ドクターは目を剥いて倒れた。
膨らんだ腹が呼吸に合わせてたゆたう。
「アハ、膨らんだ膨らんだ」
「記録更新だね」
「明日はもっと」
双子のハイタッチが診察室に響いた。
ワトソン博士の手の甲は、1時間前の医者然とした綺麗な姿に戻っていた。


「というわけで、手は直ったが私は医者を廃業することにしたんだ。」
ワトソン博士は賞状の類を段ボールに詰めていた。
「マァ、負けをお認めになる?」
メアリーは求人誌を見ながらまるで自分が勝ったかの様に微笑んだ。
「あんな科学でないものを見せつけられて、今後科学でどうこうしていこうとは思えんよ」
「じゃあこれからどうなさるんです?」
「ホームズって名前の男でも探して、探偵事務所でも開くとかね!」
「それは私の苗字がモースタンだと覚えていての発言ですか?」


「毎日一人ずつ増やしても」
「ドクター気付かないね」
「どんどん大きくなってるのに」
「自分の事は診てないんだよ」
「医者の不養生だ」
「怪我人だったら増やせるね」
「なに、病気だって」
二つの黄色い笑い声は、今日も診察室に響いている。


◆原案
なんて優しい歯ごたえ。さん

◆イラスト、キャラクターデザイン
KIPPER GOODBREAKFAST氏

◆小説
寝袋男

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