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「想い出の一枚」といえば

※過去、「大人のコラム」というサイトがありました。お題を頂いて競作したり 日記的な記述を評価して頂いたり、なかなか楽しいサイトでした。
閉じてしまったのがとても残念です。
これは「思い出の一枚」というお題を頂いてのコラムです。

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一面のコスモスの花の中 小さな二人目の娘を抱いている私。
3歳の長女は赤い花柄のワンピースで笑っている。
ふふ、若いじゃん、私。
「想い出の一枚」といったら、やっぱり これかなぁ…
青空の下、このメンバーで撮れた最後の写真だ。

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その夏の最後のお出かけ。〇〇山。
山の上はもうすっかり秋色で、コスモスがいっぱいに広がってた。

長女と次女は年子だったのだけれど 成長のゆっくりしていた次女は 
まだ歩くこともできず、同じくらいの年頃の兄弟なら もう一緒に、
とてとてと追いかけっこしたり 、親が二人相手にボール転がして遊んだりできたのに 、それも叶わなかった。

私たち親が、上手に育てたというよりは、次女自身が「身体に無理をかけない生き方」を、知っていたかのようだった。のんびりと、大きな病気もせず 何の心配もかけず 生まれて1年半が過ぎた。
いや、「病気」はいつも傍に控えていたし、心配すべきことは山盛りあったはず…なんだけどね。

長女はそんな妹の事情を知ってか知らずか、無理なことはさせず、我がままも言わず、先天性の心臓疾患を持って生まれた妹の、小さな成長を一緒に喜んでくれた。

この日も山の上で、兄弟や親と遊ぶほかの子ども達の中で
ひとりでただ走り回って「楽しさ」を表現してくれたのを思い出す。

写真を久しぶりに出して見ると、このときの長女の笑顔には
何だか少し無理してる感じがあるのは 気のせいではないだろう。

元気だと思ってた腕の中の小さな次女。
けれど、改めて見たら、やっぱり「健康な1歳」の表情とは
どこか違う。私はそこから 目を逸らしていたのかな。

9月には入院の予定が入り生まれたときからの「予定」であった、手術の日程が決まった。

秋が深まるのを 肌で感じながらの 病院通いが始まり
せっぱつまった思いの中、何とかこの日々を留めたいと感じ、
日記をつけることを始めた。
日記は辛い内容になったけれど、「書くことで癒される」ことに気づかされ、それが、「創ることで救われる」私のその後に 繋がった。

それこそが、次女からのプレゼントだったと思っている。
ここで、言うね。

ありがとう。本当に、ありがとう。

写真の中の私たちは、その日からの「先」を知らず
そんな「知らないでいた時間」をそこに留めている。
ひんやりした山の空気を思い出す。
少し切ない 秋の気配のする一枚の写真だ。

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