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桜じいさんの話(「公園の童話」より)

その公園には、年寄りの それは立派な 桜の木があります。

花の頃になると、電車や車に乗って、遠くの町からも たくさん人がやって来て、 思い思いに 写真を撮ったり お弁当を広げたりします。

隣に植えられた若い桜は、そんな人々の桜を見上げる時の表情を見ると、 桜であることを誇らしく思うのでした。

*

若い桜がその か細い枝にやっと、かたい芽を少しつけた時、一人の老人が うつむいたまま通り過ぎました。

「桜じいさん、私には よく 解らない。もうすぐつぼみがふくらむのに、なぜあの老人は、顔を上げずに通りすぎるの?」

じいさん桜は、話しかけてもほとんど、黙っています。

もう返事してくれないかと若い桜が思ったとき低い静かな声で じいさん桜は言いました。

──あの老人は ずっと若い頃、大好きだった女の人とここへ来て 指の先に初めてそっと触れたんだ。 戦争が 始まって、終わって、ここでまたやっと会えて、 それから一緒に歳をとって……けれども 彼の方がひとり  長く生きてくことになってしまった。

桜の花びらの色は、きっとあのときの、きれいな 指先を思い出すんだろうね。

若い桜の問いかけに 答えたというよりは、まるで独り言のような、じいさん桜の言葉でありました。

若い桜は、毎日やってくる老人をもう少し黙って見守ろうと思いました。

*

若い桜の芽が膨らんで、小さなつぼみになりました。

女の人がひとり、ため息をついて通り過ぎました。

「桜じいさん、私にはまだ、解らない。もうすぐちらほら花が咲くのにため息をつく人がいる。」

長い沈黙の後、じいさん桜はまた独り つぶやくように言いました。

──あのご婦人はずっと前の冬に赤ちゃんを産んだ。 病気で生まれた赤ちゃんのため、この道を毎日病院まで歩いたものだ。花の咲くころにはきっと、赤ちゃんと一緒に公園に行こう。 満開の桜の下、元気になった赤ちゃんの 笑顔を 思い浮かべながらね。 それは、叶わなかったんだけれども。

若い桜は一瞬、女の人の思い浮かべたその光景を目にしたような気がしました。

そして、見てもらえるかどうか解らないけど、たくさんたくさん花をつけよう、と思いました。

*

若い桜の枝に ちらほら花が咲きました。

若い女の子が、悲しい顔で通りすぎました。

若い桜が聞く前に じいさん桜は低い声で歌うように言いました。

──あの子は 満開の桜の下、最初の恋にさよならした。 付き合うこと自体にウキウキしてるのが、 はたから見ても解ったさ。 だけど気がつけばいつの間にか相手の心は離れてた。花見で賑わう人の中、ぽつんと置き去りにされて、あの子はどこへも行けないで立っていた。

若い桜は、女の子がいつか本当に心通う人とここへ来ることを、心から願いました。

*

桜の花が満開の頃、たくさんの人が通り過ぎました。

じいさん桜はもう何も話さず、はしゃいで遊ぶ子供たちにも、賑やかな宴を開く人たちにも、そしてうつむいて歩く人、大切な思い出に涙する人にも同じようにその見事な花を咲かせて見せました。

*

やがて、若い桜の花は散りました。

じいさん桜の花の終わりはそれは美しい花吹雪でした。          

そして間もなく桜の木々は 花の後に青々とした葉をつけ、夏に柔らかな木陰をつくるのでした。


               桜じいさんの話 了

「公園の童話」シリーズの一番初めの作品です。

シリーズはもう少し 続きます。読んで頂ければ嬉しいです。



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