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爆裂ウイルス~もしくは『僕たちの失態』

文藝MAGAZINE文戯17 Winter掲載作品 巻頭企画は「感染」です。


──お前らみんな 感染させてやる
──感染したいか?感染したいのか?
──さあ感染者ども、ウイルスを撒き散らせ、拡散しろ

パープルと黒のツートンの長髪、毒々しい赤い唇。顔に掛かる前髪の間から黒いラインとシャドウで強調された目を更に見開いて、ボーカルは、客を「感染者」、自分たちを「ウイルス」と呼んだ。

『爆裂ウイルス』
小さなライブハウスでの、客席側から撮った、全体に暗くて酷く画質の悪いほんの短い動画だった。
〈何コレ?ヤバっ〉〈『爆裂ウイルス』?笑〉〈ネーミングセンス最悪〉〈っていうか、これ今なら完全アウトでしょ〉〈『発掘』って、いつのだよ〉〈V系?むしろコミックバンド?〉〈いや、ただのゾンビ〉〈どこの誰だよ、この馬鹿ども〉
〈あ、でも、ベースのツインテール、めっちゃ可愛い〉……

 新型ウイルスが猛威を振るい、リモート勤務になって長い。ひとりの時間は気楽なものの、合間に気分転換は絶対必要だ。自分に言い訳をして、ふと思い出したライブハウス「童子」を店名で検索する。いくつかのサイトを巡っていく内、『ヤバいもの 発掘!』という、コメントのついた短い動画が現れた。それに続くコメントに動揺した僕は、飲みかけのコーヒーをパソコンのキーボードにあやうく零しそうになった。

****
 ──ライブやりたいよなぁ。
店内のクリスマスの飾りつけを手伝いながら。理人はいつものぼやきを繰り返していた。高校二年の冬のことだ。となり町のライブハウス、古い雑居ビルの地下の「童子」は僕らのたまり場だった。と言ってもそのステージに立ったことは無い。出演バンドは地元のアマチュアが多かったけれどプロを目指す人たちもいて、レベルは高かったように思う。
店長のシゲルさんの好意で、開店までの空き時間、ドラムセットや機材を借りてバンドの練習をさせてもらっていた。初めはまだ中学生で、大した技術もなく、「好き」だけで続けているような僕らだったが、シゲルさんはそれでも面白がって見守ってくれていた。白髪まじりの長髪を後ろで束ねた、年齢も経歴も不詳の物静かな店長だった。

開店前の店内では大抵、静かなジャズのレコードが掛かっており、準備を一通り終えたシゲルさんはいつも、カウンター席で煙草を吸っていた。たまに囁くような声の女性シンガーの、寂しげな曲が流れていることもあった。「こういうの好きなの?」
開店後、生演奏が無い時は、軽快なロックが掛かっていることが多い。意外な気がして僕が聞くと、シゲルさんはテーブルの下から古いカセットテープのケースを取り出して僕に見せてくれた。お気に入りの曲を自分で編集して作った一本のようだった。

「ジャズでもフォークでも、ロックでもいいものはいい。曲ごとに色々思い出があったりするんだよ」
「誰と一緒に聴いたとか、何があった時流れてたとか、そういうこと?」「そうだね、その曲が胸に響いたのがどんな時で、自分がどんな気持ちでいたかとか」
──恋したこと、別れたこと、仲間との楽しかった日々。もう会えない大事なひとたちも増えていくんだよ、この歳になるとね。
そう言ってシゲルさんは目を細めて煙草の煙を静かに吐き出した。

その時は、それ以上何も聞くこともなく、しばらくシゲルさんの選ぶ曲を一緒に聴くと、曲が終わるのも待たずに、僕は仲間たちとのくだらないおしゃべりに戻っていった。続いて流れたプログレッシブロックっていうヤツは随分退屈に思えたし、洋楽は歌詞があっても意味が解らない。喚くような歌声と激しいビートの曲が始まると、僕らは皆、適当な歌詞をつけながら頭を振って暴れ、涙を流して笑い転げた。シゲルさんはそんな僕らの馬鹿騒ぎも、変わらず静かに笑って見ていてくれた。
あれはどんな思い出に繋がる曲だったんだろうか、今になって思う。僕らはまだまだ幼稚で、誰とでも広く浅く付き合える理人をのぞいては、大人と親しく話すことなんか上手くできなかった。
密かな片思いも、友達との日々も その頃の僕にとっては現在進行形で、何かの曲と過去を結び付けて懐かしがるなんてピンとこない。失うことの辛さや失くしたものの大切さや愛おしさを想うことなんて、僕らはまだよく解っていなかった。
十年先、いや もっともっと先のこと……その頃の僕はこんな未来のことなんて想像もつかなかった。考えてもみなかった。

 *
智哉、理人、壮太、僕の四人は、小学校からの付き合いだ。家庭環境も性格も全然違っていてよく喧嘩もしたけれど、どういう訳か一緒に時間を過ごすことが多かった。
小学五年の時、医者の息子で優等生の智哉は、塾の全国模試で一位を取り、約束通りギターを買ってもらった。それが後にバンドを始めたきっかけだった。
僕らは智哉の部屋に集まってはギターを触らせてもらい、その内それぞれが楽器や楽器の代わりになりそうなものを探して持ち寄るようになった。理人は音楽の授業や合唱コンクールではやる気ゼロの態度をとるくせに、実は歌が抜群に上手かった。スナック勤めの母親の影響で古い歌謡曲から映画音楽まで幅広く詳しくて、楽譜は読めないけれど曲を作った。地味で目立たず、本ばかり読んでいた僕は、作文が一番上手だからとおだてられて歌詞を書き、オリジナルの楽曲も出来上がった。壮太は幼稚園の時、姉ちゃんと一緒にピアノを習っていたが 指が太く短いから向いていないと短期間で辞めた。本当はドラムがやりたかったんだ、と言ってスティックをお年玉で買い、智哉の家の高級そうな家具を叩きまくって皆をはらはらさせ続けた。僕の家の物置に、五年前に出て行ったきりの父のベースを見つけた時は全員で大喜びし、僕は生まれて初めてろくでなしの親父に感謝した。
──間違いない、これは神様のお告げで「バンドを組め」ということだ
理人はいつになく大真面目な顔でそう言った。

中学からは智哉が私学に、高校からは僕を含む残りの三人も進路が分かれ、学校はばらばらになった。それでも僕らは「友だち」で「バンド仲間」だった。

*
──年末にオープンマイク、やってみようと思うんだ。
期末テストを終え「童子」に集まると シゲルさんは僕らに言った。

「オープンマイク?」
「持ち時間制で誰でも参加できるんだよ。参加費は無しでいいよ、特別待遇」
「すっげー。客の前でやっていいの?マジ?」
「頑張って練習してるご褒美だよ。持ち時間で二曲くらいはできるかな、いいパフォーマンスを期待してる」
僕らの興奮状態を見て、くすくす笑いながらシゲルさんはそう言ってくれた。
 勢い付いて練習には力が入ったが、同時に皆、それぞれ別のところで心配をし始めた。智哉はバンドを続けていることが親にバレたらマズい。中高一貫の進学校に入ってから成績は下がり続け、初めての挫折を覚えていた。それでも親の期待だけはまだ大きくのしかかっている。壮太の学校は問題を起こす生徒が多くて、そのたびに禁止事項が増える。ゲームセンターやライブハウスの入店も禁止されていた。もちろん誰もそんな校則なんて無視している、と言いながら、
「出演なんてバレたらきっと速攻停学だよ。母ちゃんに殴られる」
壮太は校則よりも母ちゃんが怖い。理人は高校から軽音楽部に入ったものの、「下手くそなくせに偉そうにする」先輩たちと、派手な喧嘩の末退部した。
「あいつらに知られたら絶対邪魔しに来る。ヤジ飛ばしたり、馬鹿にしに来るに決まってる」
それは文化祭の時 軽音楽部のライブで理人がやったことと同じだ。

最初は浮足立っていた僕らも、今回が初の、しかも観客を前にしてのパフォーマンスに不安が増していた。
「俺らだと絶対にバレないために提案がある」
素顔が解らないくらいメイクをするという理人の提案を僕らはのんだ。でもまさか自分が女装することになるなんて思ってもいなかったのだ。

「こういうバンドにはオンナガタが居るものだ」
何をするにもまず形から入る理人、データや理屈から入る智哉、何でも面白がる壮太が、口を揃えて「絶対に似合うから」と僕の前に広げたのは ひらひらしたブラウスとピンクのウィッグ、超厚底ブーツだ。
「これ、スカートなんだけど」
壮太の姉ちゃんから借りて来たというそれらをつまみあげ、僕は続く言葉を失った。
もちろん女装の役割だって簡単に受け入れたわけじゃない。その翌日理人が連れて来たのが 彼女でなければもっと抵抗し続けただろう。

「お邪魔しまぁす」
ドアが開いた途端、いい香りがした、ような気がした。開店前のまだ、薄暗い「童子」に入って来たのは佐久間優菜だった。小学校の頃からと何度も同じクラスになった、しっかり者で優しくて、明るい女の子。僕はずっと彼女が好きだった。だけど背が低く地味キャラの僕なんかには手が届かない相手だと、諦めてもいた。
「な、な、なんで?」
僕がうろたえていると 続いて理人が入って来た。二人は同じ高校だ。
僕の動揺なんかおかまいなしに、佐久間さんは真っすぐに僕に近づき、引きずって来たキャリーを開いて中身を次々と取り出し始めた。テーブルの上に驚くほどたくさんのメイク道具を並べ終わると、固まる僕の肩をポンと叩き、佐久間さんはにっこり笑った。
「久しぶり。気合入れていくわよ、鹿島瑞季くん」
彼女が僕のフルネームを覚えていてくれたことに胸が熱くなった。考えて来た女装を断る理由も すっかりどこかへふっ飛んで行った。
「こっち向いて。あ、そうじゃなく、こっち。目瞑って。あ、軽くでいいの。もう、やりにくいなぁ、鹿島くん」
僕の顔の向きを変えるたびに触れる指先、すぐ傍で揺れる彼女の髪、閉じた目を開ければいきなり接吻だってできそうなほど近くに彼女の顔があった。名前を呼ばれるたび自分の動悸が聞こえてるんじゃないかと心配になる。息がしづらい。

「バンド名は何?コンセプトは?」
メイクをしながら佐久間さんが聞く。実はまだ誰もそこまで考えていなかったよな、と思っていたら ずっと携帯をいじっていた智哉が言った。
「『ウイルス』ってどうかな」
「ほら、ここ『感染を引き起こす病原体、毒を意味するラテン語』ってカッコ良くね?」
「うーん、いいけど、何か短い。インパクト弱い」
理人が言うと、壮太がすぐに反応した。
「じゃあ『爆裂』は?爆裂ウイルス!」
「何それ?余計ダサくね?」
「えー、いいじゃん。勢いある感じでさ」
「ほかに無いのかよ。もっとカッコいいの」
「オレらを『感染源』、ファンは『感染者』って呼ぶの、どう?」
「『ファン』なんてどこにいるんだよ」
佐久間さんにメイクしてもらいうっとりしている僕でも そこは突っ込む。
メイクとウイッグと派手な衣装、厚底ブーツで、チビの僕もぽっちゃりの壮太も、すっかり違って見える。カラーのコンタクトレンズで目の色まで変わると、全員別人みたいになった。おまけに僕は「オンナガタ」だ。

何をしても笑えて、何を言ってもわくわくした。智哉の蘊蓄と僕の漢字の知識と語彙を捻くって、それぞれの凝りまくったアーティスト名まで考えた。僕らはすっかりハイになっていた。

*****
「『初めまして。僕たち、爆裂ウイルスでぇす』は無かったよな」
緊張しきった理人の真面目すぎるMCを思い出し、パソコンの画面の中で智哉は笑う。このところラインも途切れ勝ちだった僕らが、あの動画がきっかけで顔を合わせている。リモートでの久々の飲み会だ。酒が入ると、やっと会話も昔の調子に近づいてきた。近況をぽつりぽつりと話し出す。

智哉は遅ればせながら真面目に勉強し直して、遠く離れた地方の医大に通っている。この状況下での、医療従事者の奮闘ぶりに感動したのだそうだ。理人は早くから地元を離れて独り暮らし。居酒屋の店長になったところだが、自粛要請で時間を短縮し、細々と営業しているらしい。壮太だけが地元に居るが、宅配の仕事をフル回転でこなし疲労がピーク。僕は体調不良で不眠気味。仕事をしていても休みの日でも独りなのは今までと変わりない。それでも不安やストレスは日増しに強くなる。ネットや、オンラインゲームで何とか他人と繋がっている気になって、日々をやり過ごしている。

僕だってあの時のことは忘れていない。一度声を出したら徐々に恥ずかしさが消え、理人のMCも調子に乗ってきた。続く演奏で、僕らは弾けた。二曲じゃ物足りなくて、二巡目も出演させてもらった。客が乗ってくれたかどうかなんてもう、どうでも良かった。ほんの僅かな時間でも、僕らにとっては最高のライブだった。上がっている動画は二巡目の持ち時間内の、ほんの一部分だ。でも 今は「懐かしい」と誰も素直に言えない。

懐かしさも確かにあった。でも画面に映し出された自分たちの昔の姿を見て、焦ったのはきっと僕だけじゃない。何も気にしなかった平和で呑気な時代。当時だって様々な伝染病が入れ替わり話題にはのぼったけれど、僕らにとってはいつも遠い国や他の地域の話だった。今みたいな事態になることなんて想像もしなかった。ウイルスの脅威に自分自身が直面するなんて思ってもみなかった。

「確かに今だったら、シャレにもならねぇな」
「不謹慎極まりない」
「馬鹿っぽすぎ」
「あの時は最高に楽しかったのになぁ」

「誰だよ、こんなの今さら上げてんの。お前らだった、とかいうオチじゃないよな」
新しい缶ビールを開けながら理人が言う。ペースが上がっているのが解る。「まさか。動画なんて持ってないし、写真ですらどこにも無いのに」
画面越しに乾杯の仕草をしながら僕が言う。
仕事で疲れているのか、壮太だけ酒がちっとも進まず、ずっとぼんやりしているのが少し気になる。
「あ、それなら実は佐久間優菜、とか」
智哉の口から出た久しぶりのその名前に相変わらずドキリとする。
「佐久間さんが、何だって?」

彼女はステージ脇にいたんだ。あんな動画を撮れる位置じゃない。ちゃんとここで見守ってるから頑張ってね、そう言ってステージに送り出してくれた。彼女が傍で応援してくれていることが嬉しくてテレくさくて……幸せだった。
「動画上げたのが、だよ。理人と別れてヤケになって 元カレの黒歴史暴露、とかさ」
──別れたって、元カレって、何それ?
遠距離恋愛の後同棲までしてたなんて、今、智哉に聞かされるまで全然知らなかった。メイクをしてもらったあの時も、二人は付き合っていたのかも知れない。ステージ脇で彼女が見つめていたのは きっと僕じゃなく理人だったんだ。

「秘密主義かよ。初耳だな。何で僕だけ知らなかったんだ?」
自分の鈍感さ加減と、隠されてたことへの悔しさで泣きたい気分だ。あの時、佐久間さんの香りや触れる指先にときめいていた自分を思い出すと恥ずかしくて死にたくなる。彼女が自分を見守っていると信じて、ステージに女装で立つ自分が、滑稽極まりなく思えた。皆とリアルで対面していないことが救いだった。
「言うきっかけなかったし」
「言うほどのことでもなかったから」
「何だか いつのまにかっ……ていうか、流れでって感じだったもの」
ずっと無口だった壮太もぼそぼそと言い訳に参加する。

──言うほどのことじゃないって何だよ
僕の長年の片思いを知っていた皆の、「気配り」ゆえの沈黙だったのだろう、とは思う。だけど、理人の言い方が余計に傷をえぐる。

「で、でもさ、他のバンドのヤツとかあそこに居た客だって 誰が撮っててもおかしくないし」
佐久間さんと理人のことを聞いて、僕の表情が固まったことに壮太は気がついている。
「そうだよな。軽音の先輩とか理人を恨んでるヤツならあるかも。お前昔っから喧嘩っ早いし。瑞希とも結構喧嘩してたよな」
智哉が無理に笑いながら僕と理人を名指しする。
「何でそこ、俺なの。大体あのボーカルが俺だって誰が分るよ?この動画でも、あの時でも。絶対ない。絶対ないぞ」
理人が不自然なくらい大げさな手ぶりを加え、繰り返して言う。

ネットに上げたのが誰かなんて本当はどうでもいい。皆 そんなことは解っている。話を切り上げたいのに、切り上げるきっかけを見つけられない。酔いが急に回って来た。
「その中でたまたま、っていうことか」
「たまたま?」
壮太が僕に問い返す。
「タイミング悪く『今』だからってこと。見とがめられて、切り取られて、コメントがついた」
言い方にトゲがあることに自分でもわかる。佐久間さんと理人のことが僕の心の中で尾を引いている。
「『お前らみんな感染させてやる』『ウイルスまき散らせ』だもんな」
皮肉な笑いを含んだ言葉が口をついて出て来る。
「確かにな。けど、結構お前らもノッてたよな。バンド名だって、MCだって、あの時少しでもマズいと思ったヤツいるのかよ?」
理人がだんだん不機嫌になるのが解る。
「仕方ないよ。だってあの時は『今』、じゃないんだもの」
壮太がぽつりと言った。

「でもさ……」
医者になれたら地元に戻って、親の病院を継ぐつもりでいる智哉が神妙な顔になった。
「まさかこんなのでオレたち、特定なんてされないよな」
「されたって、こんなの昔の話だし。誰もそんなこと気にしない」
理人が言っても、智哉はやはり気になるらしい。まだ拘っている。
「佐久間かシゲルさんだけだろ?あれがどこの誰だかわかってるのって」
もうやめよう、やめてくれ、佐久間さんの話なんかしたくない。僕の口からはもう毒しか出てこない。
「佐久間さんは動画も上げないし、あれが誰かなんて言う訳ないよ。別れた相手の黒歴史なんてさ、自分自身の黒歴史でもあるんだから」
酒のせいにして、僕はどんどん嫌なヤツになっていく。

「おおっ、他にも『童子』のライブの動画、色々あるじゃん。こっちは『懐かしのライブハウス』だって」
僕の言葉をわざと聞き流してくれたのか、理人がネット画面を見て声を上げた。皆がそれぞれに自分の画面を確認する。
「再生回数は少ないけど。でも、それぞれに一個二個コメントもついてるね」
「本当だ。あ、このバンド覚えてる!この人も好きだった」
「ああ、いいコメントだな。こんなのだったら歓迎なのに。あ、こっちも」
「シゲルさんはよくこんな風に褒めてくれたよな」
「もしかしてこっちのコメント、シゲルさん本人だったりするかも。経営が苦しい時って、他人のフリをしてでも自分の店の話題作りとかもするんだ」
「ふうん、お前、そんなので自分の店も盛り上げてきたんだ」
智哉がやっと笑う。

「シゲルさんはそんなことはしないよ」
壮太が急に大きな声を出した。驚いて皆が壮太に注目する。

「冗談、冗談だよ、壮太。シゲルさんはそんなことしないよな。宣伝にしろ記念にしろ動画使うんなら、もっといいものを厳選するだろうし。画像でも音源でも」
動画の質の悪さのことを言って理人は笑ったけれど、壮太が言いたかったのはそういう意味じゃないことを僕は知っていた。──違う。そうじゃない。
「シゲルさんはそんなことしない。理人は知らないんだ?」
「何をさ」
僕の嫌味な口調に、理人の表情が硬くなる。
「呑気なもんだな、同じ『店長』のくせに」
「『くせに』って何だよって」
「『童子』は閉店したんだよ。クラスター騒ぎと風評被害で立ちいかなくなったって」
理人は本当に知らなかったようだ。僕だって 最近調べて分かったことだった。本当は責める理由なんて何もない。

地元に残っている壮太が続けた。そこから先は僕も知らなかった内容だ。「亡くなったって噂もある。店の経営で疲弊して心を病んでたとも聞いていた」
壮太が声を震わせて続ける。
「ごめん、噂でしか知らないことだから、なかなか言い出せなくて」
理人の手に力が入り、ビールの缶がくしゃりとへこむ。僕は急に身体の力が抜けて新しい缶のプルタブを開けることすらできない。智哉が頭を抱え込む。
「閉店した後、全然見かけなくなった。入院したとか、旅に出てたとか、田舎の奥さんと子供のもとに帰ったとか色々聞いたけど、確かな情報なんて一つも無かった」
宅配の仕事の途中で時折「童子」の様子を窺っていた、と壮太は言った。「閉まって何か月も経った店の前で、ぼんやりしている女の人見かけて……思わず話しかけたんだ」
「その人が『別れた奥さん』だったの?」
「『古い知り合い』だってその人は言った。その人から逆にシゲルさんのこと聞かれた。でも、教えてあげられることなんかひとつも無くて」
壮太の言うことはよく解った。続く言葉を誰も言えない。

長い沈黙を破ったのは理人だ。
「シゲルさんがよく聴いてた曲、あったよな。ひとつひとつの曲に思い出があるって言って」
わざと明るい声を出してそう言うと、理人が思いついた曲の出だしのところをハミングした。それが沈み切った場の空気を少しでも変えるためだったことは解っていた。理人はそういうヤツだ。でも、どの曲を思い出しても、明るい気持ちには到底なれない。適当な歌詞をつけて笑い転げたあの曲は、和訳の歌詞を調べたら、「絶望」の歌だった。軽やかでのんびりした印象の曲は悲惨な戦争の歌だった。それを知ったのも ごく最近のことだ。

「田舎がどこかとか、別れた奥さんや子供がいたかとか、よく考えてみたら、オレらってシゲルさんのことほとんど知らなかったんだよね」
智哉がしんみりと言う。
今、どこにいるかどころか、生きているかどうかすら僕らは知らない。今までずっと気にもしなかった。自分自身に対する情けなさと腹立たしさがこみ上げて来る。
「結局さ、お人よしの大人にガキが上手いこと取り入って、都合よく場所を使わせてもらったってだけだったってことだ」
僕の自虐的な言葉に智哉が俯いて唇を噛む。理人の顔がみるみるうちに赤く染まった。
「取り入ってってなんだよ。都合よくって何だよ」
低くうなるような理人の声。壮太がおろおろと僕と理人を見る。
「そのままの……意味だけど。楽器と場所、使わせてくれって上手く泣き落としたの、理人だったっけ」
最悪だ。でももう遅い。僕が答えた途端、画面の中の理人が右腕を振り上げた。

──殴り合いをしたこともあった。小学生の時だ。理人は怒ると顔が紅潮し、僕は血の気が引いて青白くなる。あれは、ほんのささいな言い合いから始まった喧嘩だった。理人はチビの僕に殴りかかる時、明らかに手加減するくせに、謝るのも自分からだった。それがいつも悔しかった。

「そんな言い方ってないよ、僕たちはシゲルさんのことちゃんと好きだったよ」
壮太が涙目で訴える。
解ってる。僕らはちゃんとシゲルさんのことが好きだった。何も言わず、シゲルさんの選んだレコードを聴いている時間が好きだった。学校や家族のことで 僕らが文句や愚痴を言うのをいつも頷きながら聞いてくれた。背中をさすって慰めてくれた。肩を叩いて励ましてくれた。そういう時に大人の言い出しそうな説教くさい助言なんて一切しないひとだった。もし聞いたとしても、シゲルさんの方から僕たちに、自分自身の辛い過去や哀しい話なんて、きっとしなかった、そんな気がする。

開店前の「童子」、練習を見守ってくれたシゲルさんの笑顔。静かに流れていたジャズや寂しげなフォークソング。目で追っていた煙草の煙。
シゲルさんとのことはどれも大切な思い出として僕らの胸に刻まれている。理人の拳は僕の身体には届かない。でも、殴られた以上に胸の辺りが痛くて辛い。自分の言葉に心のささくれ具合をひしと感じる。このままだと僕はどんどんダメになる。

「ねぇ、ほら見て」
苦い沈黙を破って、壮太がネットの画面を示す。僕らのバンドの動画だ。

〈何だか青春感じるよね〉〈よく聴くと結構いい曲じゃん〉〈歌も演奏も案外悪くない〉〈後の彼等を見てみたい〉
〈ある意味、良い時代だったんだとも言える〉

僕らがくよくよと下らない心配をしたり、喧嘩腰の「会話」を続けていた間に 見知らぬ人たちの優しいコメントが増えていた。

──ごめん、シゲルさん。
心の中で言う。シゲルさんの手が背中にそっと触れてくれた気がする。本当にこのコメントがシゲルさんのだったらどんなに嬉しいだろう。
「ごめん、理人、言い過ぎた。ごめん、智哉、ごめん、壮太」
やっと先に謝れた。そのことに少しだけほっとした。

「みんなで揃って もう一度シゲルさんに会いたいな」

生きていて欲しい。会ってシゲルさんと思い出の曲の話をしたい。
壮太の言葉に僕らは大 きく頷いた。


         「爆裂ウィルス~もしくは『僕たちの失態』」 了


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