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不自由であることと不幸なことはイコールじゃない。哀れに思われる言われはないよ。

冒頭の言葉は「鋼の錬金術師」から。だけれどここで記述したいのは「聲の形」という漫画について。
 
聴覚障がい児童であったヒロインと、異物という刺激的なコンテンツとしてイジメを愉しんだ主人公。
その過去を後悔し、また自身の存在の価値を低俗なものと当てはめ、懺悔の心で臨んだ後ろ向きな贖罪行為を重ねる中で、良くも悪くも再び過去との繋がりを意識し、そして自壊の道を歩んでしまう。
崩壊の道筋を築いてしまったのはあくまで自分なのだと、ヒロインも自身の存在意義を文字通り問い直してしまい、自殺の解答を導き出そうとした。
何もかもが破滅の道筋を描いた中で、主人公は手を伸ばし、本当に目指したかった理想とは何か、改めて導き出す。
 
ネタバレを控えて抽象表現で要点をまとめると上記のようになる。
 
作者は以下のように語っている。

「『いじめがテーマ』とシンプルに語られることに、少し違和感を覚えているところはあります。
自分としては、『いじめ』や『聴覚障害』を主題に置いたつもりはなくて、『人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさ』を描こうとした作品です。だから『聲の形』というタイトルにしても、『コミュニケーションそのものを描いた作品』なんだよと、という想いを込めています。硝子の耳が聞こえないのは、あくまで彼女を構成するものの一つでしかないです…(中略)」
講談社,大今良時 著「聲の形 公式ファンブック」p 170

あくまでコミュニケーションの物語で、伝達事項やその手法の齟齬が生んだ悲劇であると語っている。

「硝子は自分のせいで壊したものを、ずっとカウントしています。
自分のせいで親が離婚した。自分のせいで妹がいじめられた。自分のせいでクラスの雰囲気が悪くなった。自分のせいで佐原さんも学校に来なくなった。
ぼんやりと『死にたい』と考えながら、そのカウントを積み重ねていたんです。筆談ノートを失ったすべてを諦めることで、それが消えたのではなく、ずっと胸の内にしまい込んでいただけで『いつかは死ぬんだろうな』と思い続けていました。
そうして将也と再会するわけですが、やっぱり彼と友達の関係を自分が壊してしまい、カウントと死への想いが蘇り、橋の上で『やっぱり死のう』と決断してしまう。」
講談社,大今良時 著「聲の形 公式ファンブック」p 176

死を希求しなければいけない動力源足り得てしまったのは、イジメという曖昧な暴力ではなく、ましてや障がいを抱えたそのもののハードルではなく、あくまで自身が大切に願うものを自身が傷付けてしまうことの罪悪感にあったと述べる。
 
彼ら彼女らはどのようにすれば悲劇を回避することができたのだろうか。

「あんたは5年前も今も変わらず、私と話す気がないのよ」
講談社、大今良時 著「聲の形」4巻,p68

描きたかったものがコミュニケーションにあるのならば、コミュニケーションを真っ当に図れれば彼ら彼女らは望むものを手に入れられただろうか。
おそらくそれは難しかったのではないだろうか。何故なら彼ら彼女らはコミュニケーションを、あくまで連帯感を機能させるための道具と誤認したからだ。綺麗事やお約束で装飾されたその空間は、確かに一見美しいだろうがひどく脆い。単なる連帯感には持続性を求められないからこそ、彼らは彼女らは離れ、悲劇が生じたのだ。
 
エンディング間際の、それぞれのコンプレックスについて語る46−51話の中にヒントがある。彼ら彼女らにはそれぞれにお互いが分かり合えない弱さを抱えていることが紹介されている。自己解決できず、同時に無視することも自らに許すことができない種類のもので、彼ら彼女らがどのうようにしてそれに立ち向かうかが描かれている。それらを新たに土台としてコミュニケーションを果たさなければ、完結へ導けないからこそ、作者は挿入したのだ。コンプレックスはコミュニケーションに不可避の要素と捉えていることが分かる。
 
作者が主張したかったものは、互いに理解できない他人や、あるいは認められない自分自身との溝をなぞり、許容することの重要性だ。コミュケーションは連帯感の強さのための道具ではなく、弱さを引き受けるための道具なのだと、一連の物語は訴えているのだ。
それは押し付けがましい綺麗事が付け入る隙なぞなく、ともすれば悍ましいエゴを、生々しく告白することでしか生まれない。
自己嫌悪に連なった自身の姿形をありのまま見せつけ、その上でどうしようない自身がなにを望んでいるのか、嘘っぱちの言葉を一切挟まずに、赤裸々にぶつけたからこそ、エンディングを迎えられたのだ。非常に醜く苦しい行為の中で踠くことでしか、自身の居場所を確保できないという、ある意味最も残酷な答えを作者は提示した。
 
コンプレックスを抱いていることは間違いなく不自由なのだろう。でもそれは不幸には直結はできないはずだと言う結論と、またそうであってほしいというすがりたい気持ちも込めて、タイトルを付けた。

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