「森村泰昌 ワタシの迷宮劇場」#東山キューブ
初めて入る空間だった。高いところからつるされたカーテンのドレープが、カタツムリの殻のように、いや、もっと複雑な形で一部屋を間仕切っていた。
カーテンは、暗めの浅葱色。ちょっと病院みたいだった。洗練された雰囲気で、豊かな量感とは対照的に、無機質な印象もあった。順路はない。四つの入り口の中から好きなところから入り、好きなところから出て行く。
タイトルに引っ張られる性格である。頭の片隅で「迷宮」と言う言葉をずっと意識していた。「迷宮は何処」と、探していた。
勿論、探さずとも部屋に入れば三秒で見つかる。あれもワタシ。これもワタシ。あれあれどれがワタシだっけ。
ただ、予想外だったのは、だんだん違った迷宮も見えてきたことだ。衣装が目まぐるしく変わると、不思議なもので、いつからか変わらない部分、つまり顔や眼ばかり見るようになっていた。すると、変わらないと思われた、裸の部分(顔や眼)こそ、同じものなど一つもないことに気付く。
衣装を追いかけ、顔や眼を追いかけ、そんなことをしていると何度も同じ写真が見たくなる。そして、ぐるぐる見て回っていると、「このカーテンはまだ見ていないかった」と思って見始めたのに、何枚目かは記憶に残っていて、「あ、もう見たんだった」と思いなおしたりする。反対に、「この衣装は覚えている」と、見直しのつもりで見始めても、「あれ、こんな顔だったかな」と見えていなかったところが見えてくる。
たくさんのものが目の前に並んだ時、ワタシは何を見ているのか。何を見ていないのか。森村さんの迷宮に、お邪魔するつもりだったのに、いつも間にやら、私がお邪魔されていたのだ。
してやられた。
2022.5.17
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