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みんなでやると、こんなにも楽しい。映画「はじまりのうた」感想

こんなタイトルをつけておきながら。

私は、一人が好きです。

ぼんやりしたり、考えごとをしたり。
その時間を、大事にしています。

でも、数人や大勢で何かをするのがとても楽しいことも、知っている。

この映画は、それを思い出させてくれます。

監督のジョン・カーニーは、アイルランド出身の元バンドマンです。

2007年に「ONCE ダブリンの街角で」を公開後、口コミで大ヒット。
アカデミー賞歌曲賞を受賞しています。
2013年に「はじまりのうた」、2016年に「シング・ストリート 未来へのうた」を公開。

いずれも高く評価されており、日本で公開されている上記三作品は、どれもすべてオススメです。

「はじまりのうた」主演のキーラ・ナイトレイ、マーク・ラファロの二人は、有名なので知っている方も多いでしょう。

二人の年齢差は、17年。親子に近いほどの差があります。
その二人がどうやって出会い、そしてどんな形で物語を終えるのか?
少し長くなりますが、あらすじを連ねてみたいと思います。

映画の導入部は、NYのとあるバー。
突然ステージに上がるように言われたグレタ(キーラ・ナイトレイ)の弾き語りで始まります。
最初は弱々しいものの、透明感のある声と旋律は美しく、悲しい歌詞です。

場面は変わり、音楽プロデューサーのダン(マーク・ラファロ)の最悪な一日が始まります。

・自分が「これだ!」と思う音楽と出会えない。
・月に一回会うだけの娘から冷たくされる。
・娘の前で、共同経営者にクビを宣告される。
・バーで無銭飲食し、バーのマスターに殴られる。
・娘を家に送った後、妻からも詰られる。

これらのいくつかは、主にダン自身の所為でもあるのですが……。
そんな最低最悪の一日の終わり、ダンは酒を飲みまくってふらふらの状態で、偶然とあるバーに足を踏み入れます。

そこで聴こえてきた、一人の女性のギターの弾き語り。
ダンは電撃が走ったように立ち上がりました。

彼の耳にはドラムとピアノ、バイオリンとチェロの音色がつぎつぎと聴こえはじめ、あざやかに彼女の演奏を盛り上げていきます。

この、「求めていたものに出会えた」情景が素晴らしい。

灰色で埋めつくされた世界が、心の琴線をそうっと爪弾くような旋律によって、みるみるうちに全てが色づいていく感覚とでも言いましょうか。

画面が、音楽と共にステージをめぐります。
まるでひとつのバンドが、完成した音楽を奏でているかのように。

そうしてグレタの歌は終わり、ダンは自分の名刺を出してスカウトしますが、彼女はそれを良しとしません。
しかしダンと音楽談義を繰り広げるうちに打ち解けて行き、帰り際にダンから「何かあってNYを離れるんだろ? 聞かせてくれ」と言われます。
グレタは少し考えるわ、と答えて帰宅します。

そして、グレタのNYでの物語が語られます。
映画の曲で大ヒットしたデイヴ(アダム・レヴィーン)と共にNYへ来た彼女。
彼と一緒に曲を作っていたはずのグレタは、周囲のデイヴのみへの期待に喜びつつも、次第に疎外感を強くしていきます。

ある時、デイヴはレコーディングやツアーなどで、半年間グレタと離れることになってしまいました。
ひとりNYを歩いていたグレタは、デイヴと共通の(おそらく学生時代の)男友達、スティーヴが道端で歌っているところに遭遇します。

わー! 信じられない! と言いながら抱きあってキャッキャするシーン、かわいくて私は最高に好きです。

この出会いは、だんだん悪化するグレタの現実の中で、大切な癒しでした。

そしてグレタの彼氏は帰宅し、新曲を披露したものの……。
途中まで聴いただけで彼の心変わりを察したグレタは、彼をひっぱたいて家を飛び出します。

夜もまたストリートで歌っていたスティーヴが、スーツケースを持って歩いてきたグレタを目に留め、少し笑いました。
画面上だと彼女は後ろ姿で、顔は見えません。

直後、スティーヴが血相を変えてギターを落とし、彼女を抱きしめます。

このスティーヴのやさしさが、とても心に沁みます。

そして夜になり、バーでの演奏の予定が入っていたスティーヴは、今のグレタを一人にしておけないと連れ出して、冒頭のダンとの出会いに至ります。

そして場面は、ダンから契約を迫られていたグレタへ移りました。
契約にあたってデモデープを作っていなかったグレタは、バンドを組んでNYで録音をしよう、とダンに提案されます。

本来ならスタジオでやるものを、外で、しかも大都会NYの街中で。

ダンの人脈と積極性でかろうじて集めたバンドメンバーでしたが、セッションを重ね、とうとう録音が始まります。

近くで遊んでいた子どもたちをお小遣いと飴で買収したり、駅のホームでやって途中から逃げ出したり、色々な場所で演奏をするグレタたち。

そして次の木曜にビルの屋上で録音する前、グレタはダンの娘であるバイオレットを、ギター役として参加させることを提案しました。
ダンは最初「下手かもしれないし、恥をかかせたくない」と言いますが、妻とも話し合って、了承します。

その夜、グレタは、ダンが妻と別居している本当の理由を知ります。
もともとは、妻の方の不倫から始まったことでした。
誤解をしていたとグレタは謝り、詳しい話を聞きます。

映画の最初から、ダンの車内に、いつもぶらさげてあったプラグ。
それはダンが妻と結婚する前、二人でウォークマンの曲を聴くために使っていた、二股のイヤホンプラグでした。

ダンとグレタは、お互いのプレイリストを聴かせ合うことにし、往年の名曲と共にNYを練り歩きます。
クラブに乱入したり歌ったり、楽しそうなグレタと、それを見ているダン。

「陳腐でつまらない景色が、美しく光り輝く真珠になる」

それは音楽の魔法だと、ダンは言いました。

やがて木曜、娘のバイオレットが参加する撮影の夜がやってきます。
ダンもベースとして参加し、最初は自信のなさから渋っていたバイオレットも、曲の途中から入って存在感を高めます。
ダンの妻も、嬉しそうにそれを観ていました。

この映画によく出てくる「みんなで演奏する」シーンが私はとても好きで、たとえば同じ監督の「シング・ストリート」でのギグを観るのも好きです。

それは、ライヴとは少し違うように思います。
ライヴでは、お客を楽しませるパフォーマンスが何より大切だから。

こういったバンド内でのセッションやレコーディングは、眼前に観客はおらず、ただお互いの調子を見ながらの掛け合いになります。

それは会話みたいなもので、複数人でのランチや遊ぶことと似ています。
ある人の言葉で場が盛り上がり、また別の人によってはおごそかにもなり、うまく楽しめない時もあったり。
言うなれば、人と人との感情の応酬による相乗効果です。
それは当然のように、一人で成し得ることではありません。

バンドでは互いの音をよく聴いて、然るべきところで各々の魅力を生かし、調和させることが大切です。
それが、想像以上に上手くいったときのみんなの笑顔、感動と昂揚感。
やがてすこしの寂しさを余韻として曲は終わり、良かったねと言い合う。

私は一人が好きだけど、それはとってもいいな、と思います。

グレタはその後、元カレとなった大スターのデイヴのライヴへと行きます。
さすがMaroon5のボーカル、問答無用に歌が上手いです。
デイヴは、グレタの頼み通りのアレンジで、かつて彼女が作った歌をうたってくれますが……

歌の最後を迎える前に、グレタはライヴ会場を立ち去りました。
それは、彼のトップスターとしてのやり方との決別です。

グレタはダンに会い、「また皆でやれるでしょ? ヨーロッパとかで」と言いますが、ダンはそれに応えず、静かにグレタを見つめています。
ダンもまた、娘と妻との、新しい生活を築き始めようとしていました。

そうして、グレタが最後に選んだことは……。
ここまで言うのは野暮ですね。うふふ。
彼女の笑顔を思い出して、笑っちゃいます。

私は、この映画がとても好きです。

傷ついた男女が出会い、ひとときを過ごし、やがて新たな道を歩みだす。
それを後から「楽しかったなあ」と思い返した時の、きらきらとした感じ。
決してもう戻れないからこそ、色あざやかに輝く時間。

それを描くのが、とてもうまい監督さんだなと思います。

みんなで何かをすることも、いいものだな。

そう思える映画です。

「はじまりのうた」制作に関わった方たちすべてに感謝を込めて。
ありがとうございました。

Photo by Ricardo Gomez Angel on Unsplash



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