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『ファースト・マン』は、『ラ・ラ・ランド』でオスカーを獲得したチャゼル監督の“意地”の表明

4年前には、ムーンショット型研究やムーンショット経営ということが重視されるそうでしたが、現在は、その危険性を含めて賛否両論という感じですね。

小学校6年生の夏に、アポロ11号による月面着陸の衛星放送を固唾を飲んで見守り、当時は天文クラブの副部長を務めていた“月オタク”としては、この計画自体は、現在進められている「アルテミス計画」を含めて期待できますね。

5年前には、ニール・アームストロング船長の生き様を描いた「ファースト・マン」や、彼の生涯を辿ったドキュメンタリー番組を観て、自分なりのムーンストーリーを構築しております。

考えてみれば、私は、彼の息子たちとほぼ同年代のはず。

やはり同年代の宇宙オタク、トム・ハンクスが製作に関わった「ア・ミッション・トゥ・ムーン:人類月面に立つ」も、再び復習したいなぁ。

そして、「ファースト・マン」も、アーカイブスでもよいので観てほしいですね。

人類初の月面を歩いた男の物語。

けっしてヒーロー礼讃の美談ではなくて、非常にシビアな観点で彼の半生が描かれており、

物語の途中では、アポロ計画に反対する黒人たちを中心とした貧困層が批判のデモを繰り広げる中で、「オレたちは日々の暮らしで苦しんでいるのに、白人は月に行く」という、ラップの元祖のような主張を繰り広げるシーンまで挿入されています。

そして、ニール・アームストロングを含む、全ての宇宙飛行士とは、米国の宇宙開発を推進する組織、そして、ケネディ大統領が米国国民に対して約束した、人類(実際はアメリカの白人男性のみ)を1960年代の終わりまでに(ソ連よりも先に)月に到達させるという“公約”を実現させる使命を帯びた国家にとって、本当はどんな存在であったのかも鋭く描いています。

もちろん、一般大衆にとっては、宇宙時代を象徴するスーパーヒーローであった訳ですが、実際は、アポロ1号の乗組員が発射実験中の火災爆発事故に巻き込まれて全員死亡してしまったことに象徴される、文字通り死と隣り合わせの過酷な運命が課せられた苦役を強いられた存在であったというのが現実でした。

確かに、その危険に見合うだけの報酬や名声が与えられるのですが、実際に事故に巻き込まれて死亡してしまう宇宙飛行士の遺族たちにとっては、本当は居たたまれない気持ちしか残されなかったのではないかと思います。

悲惨な事故で遺された家族は、葬儀の後でも、NASAから与えられた、宇宙飛行士の家族専用の高級住宅街区に留まるよう要求され、それは悲劇に見舞われた家族の生活保障の意味合いであるとともに、何か情報管制の狙いも隠されていたのではないかと勘繰りたくなりました。

そして、宇宙開発競争で先行していたソビエト連邦の、世界初の動物を乗せたロケットで大気圏外に打ち上げられたライカ犬がカプセルの中で死亡してしまい、世界中から非難されましたが、実は、ソ連、いや米国の宇宙飛行士たち全てが、上層部から見れば、ほとんど実験動物のモルモットと同じ扱いをされていたことが見て取れました。

映画の冒頭では、元々は、X-15という、アポロ計画とは別に進められていた空軍主体の宇宙開発プロジェクトである、最新鋭のロケットエンジンを搭載した超高度超音速戦闘機のテストパイロットだったニール・アームストロングが、大気圏外ぎりぎりの空間から、再び地上に戻ろうとする際の、ほとんど無謀ともいえるコックピット内の操縦=たった一本のレバーを上下左右に動かすことしかX−15の姿勢を制御することができない、によって悪戦苦闘する姿が、まさに主観目線で描かれますが、まるで我々自身がその閉塞空間内に閉じ込められたかのような錯覚に囚われる作り方が為されていました。

そして、その後のどのプロジェクトにおいても、身動きひとつ取れないような非常に狭い空間に押し込められ、あらかじめコンピュータによって綿密に計算されたプログラムをもとに、与えられたミッションを忠実に遂行することが主体であり、彼ら自身にもっとも求められたのは、それでも発生する想定外の事態に陥った時に、いかに機敏に判断を下しながらサバイバルアクションを起こせるかだけだったといえるかもしれませんね。

『ファースト・マン』
本編映像 ”絶体絶命!ジェミニ計画のトラブル!”

『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督と主演ライアン・ゴズリングが再びタッグを組んだ待望の最新作『ファースト・マン』(原題:FIRST MAN)が“月面着陸から50周年のアニバーサリーイヤーとなる2019年”の2月8日(金)に公開!

アカデミー賞3部門受賞『セッション』で全世界から脚光を浴び、続く『ラ・ラ・ランド』では最年少記録となる監督賞の受賞を含むアカデミー賞6冠に輝き、評価と人気を確立させたデイミアン・チャゼル監督。

『ラ・ラ・ランド』よりも先に企画されていたという入魂の最新作『ファースト・マン』では、再び演技派ライアン・ゴズリングとタッグを組み、息を呑むほどの緊張感とダイナミックな映像で、まるで宇宙空間を旅しているような臨場感を体感させる大迫力のエンターテインメント作品で新境地を切り開いた。

まだ携帯電話も無かった時代に、月へと飛び立った アポロ 11 号。

人類初の月面着陸という、前人未踏の未知なるミッションにして、人類史上最も危険なミッションが、アポロ11号船長ニール・アームストロングの視点で描かれる。

■原題:『FIRST MAN』
■全米公開:10月12日(金)
■監督/製作:デイミアン・チャゼル(『ラ・ラ・ランド』(17)、『セッション』(15)
■出演:ライアン・ゴズリング(『ラ・ラ・ランド』(17)、『ブレードランナー 2049』(17)、クレア・フォイ(『蜘蛛の巣を払う女』(19)、カイル・チャンドラー(『キャロル』(16)、ほか
■製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、アダム・メリムズ、ショジュ・シンガー
■脚本:ジョシュ・シンガー(『スポット・ライト 世紀のスクープ』(16) ■音楽:ジャスティン・ハーウィッツ(『セッション』(15)、『ラ・ラ・ランド』(17)
※作品公開年は全て日本公開年
■原作:「ファーストマン:ニール・アームストロングの人生」著/ジェイムズ・R・ハンセン

※※※

また、宇宙飛行士の家族は、地球のそばの大気圏外での活動や、さらに大規模な月旅行へのミッションであるかどうかにかかわらず、実は宇宙から帰還後に離婚するケースが圧倒的に多かったのですが、

(唯一といってよい例外は、事故で月着陸を断念せざるを得なかったが奇跡の生還を果たした「アポロ13号」船長のジム・ラベルの夫婦であったという皮肉も)

「マーキュリー計画を初め多くの宇宙飛行士が離婚を経験しているが、ラヴェルとマリリンはおしどり夫婦として知られる。」

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2797504223612608&id=100000591726100

それほど家庭を犠牲にせざるを得なかった仕事であったと思われ、それを“予感”させるシーンもしっかりと描かれていました。

「ラ・ラ・ランド」で高い評価を獲得したデイミアン・セイヤー・チャゼル監督は、

極力、既にニュース映像で何度も報道された、月面に星条旗を立てるシーンや、全てのミッションを終えて大気圏に突入した司令船カプセルが回収され、晴れてヒーローとなった3人の宇宙飛行士の無事の帰還を祝うセレモニーやパレードのシーンなどはほとんど描かれず、エンディングは、呆気ないほどの唐突な幕切れを見せます。

この映画は、本国である米国で公開された時には、アポロ計画のドキュメンタリー映像でお馴染みであった、アポロ11号の乗組員であるニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船飛行士が月面に降り立ち、地面に“征服”を意味する米国の星条旗を突き刺すシーンや、

ミッションを無事に終えて、司令船に残って彼らを“救助”したマイケル・コリンズ司令船操縦士を含めた3人が、

「遠足は、無事に自宅に帰るところまでが遠足」

を証明するかのように、大気圏を再突入した後に海面に着水後、海軍の空母に“回収”されて、その後、変なウィルスに感染していないかを隔離期間を設けて大丈夫であることが判明して、初めて全てのミッションが完了したことが確定してから、彼らが記者会見に臨んだ後に、凱旋パレードを挙行して米国民からヒーローとして大歓迎を受けるシーンが描かれなかったことに対して、それを批判する声がかなりあったとのことですが、

これは、そういう、米国の偉業を世界に改めて見せ付ける映画ではなかったのですから、それが描かれなかったのは、チャゼル監督なりの“意地”の表明だったともいえますね。

「ファースト・マン」は、穿った見方をすれば、ある意味、宇宙開発競争の“陰の部分”を忠実に描いた良作であるといえますね。

ファースト・マン


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