敗戦直後の日本人の喉元に突き刺さった棘を思い出させてくれたマイナス1.0
米国で高評価を受けたのは、素晴らしいことですね。
主人公の青年の“Kamikaze”の生き残りというよりは逃げ帰りや、
敗戦直後のシビアな世界観など、極めて日本的なテイストのストーリーだったので、果たしてそれが受け容れられるのかと思っていましたが、それがむしろ好意的に評価されたようですね。
物語の当初の恐竜の生き残りのようなレトロな怪獣映画=元祖『ゴジラ』1954年公開時にお手本となった、1953年公開の米国映画『原子怪獣現わる』を彷彿とさせるノスタルジックな形態から、
戦後、日本が被った、広島と長崎に落とされて壊滅的被害をもたらした、人類滅亡の可能性さえも想起させた原子爆弾の凄まじい破壊力に対して各国が恐れ慄いた末に疑心暗鬼に陥って、
まるで、その根源的な恐怖から逃れたいかのように競って実施された水爆実験の影響で、ジュラ紀からかろうじて生き残って来た恐竜に似た海棲爬虫類型未確認生物(ゴリラ+クジラ→ゴジラとなって誕生した説もありましたが^^;)が、次第に人類の生存を根本的に脅かす本格的な怪獣としての容貌に変容していくプロセスによって、
まさに、『シン・ゴジラ』を想起させる災厄をもたらす巨大不明生物として、
「日本近海の大戸島、この映画では、特攻隊の飛行機が整備不良等で故障して任務を遂行できないという不測の事態に備える緊急避難基地という興味深い設定としましたが、
そこに、この島の伝説として古来から畏怖の念で語られてきた怪物、呉爾羅=GOJIRA≠Godzillaがまず出現して基地を襲撃し、主人公の青年と飛行機整備隊の責任者だけを残して整備兵を全滅させるというエピソードを盛り込むことで、
主人公に、この時に、不時着して整備中の零戦に搭載していた機関砲を撃てば、ひょっとしたら怪物を殺せて皆を救えたかもしれなかったのに、特攻隊の任務放棄の時と同様、恐怖のあまり機関砲を撃てなかったために皆を見殺しにして、みすみす怪物を逃がしてしまったというトラウマを植え付け、
結果的には次第に恐ろしさを増し増しにしていく水爆実験被害怪獣の最終形態を提示したこと「ここで怪獣が死んだら物語はおしめえよ」が、観客の心を掴んだのかもしれません。
今回のゴジラは、とにかく異様に体から突き出した大きな棘が特徴で、
それは、敗戦直後の日本政府が、このような緊急事態発生を受けて、例外措置としてGHQから貸し与えられた、本来は米軍の水爆実験の標的艦として海の藻屑と消える運命を逃れた巡洋艦「高雄」からの艦砲射撃を少々煩わしく感じたゴジラがちょっと本気を出して、
最終兵器たる放射能を含んだ熱線を放出して完膚無きまでに叩きのめす際に、
体内に潜ませていた棘が次々と体表に突き出すと同時に蒼白く光り、その棘が背中全体に全て行き渡った瞬間に、初めて凄まじいまでの破壊光線を放つことができるという、まるでフィギュアのようなギミック=仕組みになっていました。
それは、ひょっとしたら、現代社会に生きる我々が忘れてしまったが、この映画の登場人物たちに代表される敗戦直後の日本人が感じていた、喉元に突き刺さっていた心の棘=当時果たせなかった後悔や懺悔の気持ちを、再度思い起こしてくれたものだったのかもしれません。
そして、米軍の絨毯爆撃攻撃で日本の主要都市が焦土=「ゼロ」と化して、敗戦後の絶望感に打ちひしがれた日本人が、闇市などの非合法商業活動によって少しずつ活気を取り戻そうとして来た矢先に、
今度は、水爆実験による放射能の副作用で巨大化、凶暴化したゴジラが東京に上陸して来て、まるで泣き面が蜂に刺されたかの如く、大空襲の被害でさえも逃れることができた銀座の象徴であった和光ビルや日劇ビルを徹底的に破壊尽くされてしまい、今や「マイナス」の世界に陥ってしまった絶望感から立ち直る手立ては果たしてあるのか…。
情けないことに、圧倒的火力で日本全土を蹂躙することができた占領軍としてのGHQさえもが、冷戦時代を迎えた対ソ連への警戒心で、派手な軍事行動を自粛せざるを得ないために身動きが取れず、
そして、そのGHQに唯々諾々と従わざるを得ない日本政府も、軍隊組織を解体されているためゴジラに対する本格的な軍事行動が取れずに忸怩たる思いに苛まれている状況下で、
だったら、戦後復興で少しずつ活況を呈して来た民間企業や、敗戦を経験して辛酸を舐め尽くした“負け組”たる我々が、自身の未来を託す人たちを守るために立ち上がったというところに、心機一転、反転攻勢的な価値を見出したのかもしれませんね。
この物語のクライマックスパートでは、
これまで何度も死地に直面する度に、直後に訪れる極めて個人的な恐怖心に耐え切れずに逃げ帰っていた主人公が、ようやく己の心の棘に対峙して遂に決着をつけようと決心し、
と同時に愛する者を失った悲しみと怒りの感情を込めつつ、
さらには自分の未来を託すべき存在の安寧を願うために、
自らを犠牲にする行為=「永遠のゼロ」に戻そうとする行動を初めて起こそうとしたのですが、
この映画では、日本映画によく見られる叙情的なラストとはならずに、最終的には極めて人間的で、ハリウッド映画の観客が喜びそうな意外な結末が用意されていました。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=7626543287375320&id=100000591726100
そして、エンドロールで流れた最後の最後の予告が、
敢えて、
The Show Must Go On
としたことで、次の日米各ゴジラシリーズへバトンタッチしたところが、「マイナス1.0」の存在価値を高めたといえるでしょうね。
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予告編はコチラ
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ネタバレ記事と、
盟友であり、
戦友であり、
好敵手でもある
山崎貴監督と
庵野秀明監督
による
爆笑トークショーは
コチラへ
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『ゴジラ対メカゴジラ』で、平成ゴジラシリーズに一石を投じた釈由美子さんが、息子さんを連れて鑑賞した話が、なかなか読ませましたね。
釈由美子ファンと思われる方のブログより
「【ゴジラやメカゴジラより、釈由美子さんが主演だった作品。人間のゴジラも出演してます・・。】」ゴジラ×メカゴジラ 機龍 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
『ゴジラ対メカゴジラ』
作品解説
余談
ゴジラ2023という、ネタバレを含む設定資料を見つけましたので、ご参考用にどうぞ。
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