小学校入学後から

ASD/ADHDの子供を育てています。
日々、暗中模索。

小学校に通い出してから「死にたい死にたい」と言う様になった。

本人としても「小学校」は「幼稚園」より頑張らないといけない場所という認識が強過ぎたんだと思う。

それは、周りの子も同じだったんじゃないかな。
周りの子から見たら
「ちゃんとやってよ!」
と注意したくなる行動も多かったんだと思うし。
(その注意を自分丸ごと否定されたと思ってしまうという問題もあり…それもその後数年かけて説明し続けて理解出来るようになった)

その他にもやんちゃ系の子たちとの接点もあり
後々聞いたらそれは「いじめ」と呼ぶものだなと思う事を毎日されていたようだし。

診断前だったし一見特別問題児に見えない子なのに親がやたらと心配していたから担任の先生からは問題がある親として扱われている感じがとてもした。
説明しても信じてもらえないというかちゃんと聞く耳を持たれてないと感じる事が多かった。

本人は、小学校は頑張って行く所。
行かなければ行けない所。
(イヤだからつらいからって休むとか行かないとかそういう考えはないようだった)

学校の先生の言う事は、絶対!
(学校の先生=偉い人→偉い人は、間違わない→先生の言う事は、全部正しい。という思考だった)

っていう思い込みがすごかった。

ツライなら休んだっていいし死にたいと思ってしまうくらいなら行かなくてもいいという事。
悪く言う訳ではなくて、先生も人間なんだから完璧ではなくて間違う事だってあるという事。
ずっと伝え続けて少しずつわかってきてると感じたのはそれから数年後の事。

学校で、実力以上に頑張ってきて帰宅したら
ギャーギャーギャーギャー泣き叫んで死にたい死にたいと騒ぐ毎日。
覚えてないのか(イヤだったという気持ちだけ残ってるパターンもある)上手く説明出来ないのか言いたくないのか何があったのか言わない。
(後半は、少しずつ言えるようになったけど最初は何も言わなかった。言ってはいけないと思っていたらしい。それは、自分でそう思ったのか誰かに言われたのかはわからない)

日常生活送るだけでも大変なのに…
宿題も取り組むのが難しく時間がかかる。
出来ない自分が許せなくてまた泣く。
どんどん時間だけが過ぎる。
色んな事が終わらない…。

行かなければ!しか頭にないから玄関出る時にランドセルの事を7割くらいの確率で忘れている。

それでも本人は、頑張って通っていて
親としても本人の意思を尊重してサポートするしかなかった。

本人は、もちろんつらいんだけど
親の私も心が折れそうな日々だった。
幼稚園と小学校は、思い返すのもしんどい。

ずっと一緒に登下校してた私の方が小学校行きたくないって気持ちが強かったと思う。

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