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ビーカーについて(2024.07.10)

[ここからは1,000文字に含みません]
二十一日目です。
やっと少し時間を空けられたので、書類周りの手続きをしに役所の方にいってきました。
が、保険はこっち、年金はこっち、この窓口は16時まで、作るのに1ヶ月…など、煩雑ー!という気持ちでぐったりしてしまっています。
お願いなのでもう少し、もう少しでいいからシンプルにして欲しい…せめて営業時間中はすべての窓口が開いていて欲しい…


及川光博さんの界隈で使われている単語が、すごく良いと話題になっていました。
確かに“オタク”文化が“推し”文化になり、何かを好きでいることが肯定され始めた昨今、好きなものをあえて汚いもので表現するのもナンセンスなのかもしれません。
それを改善していたのが、その“オタク”文化のさらに前から活動されていた方の文化圏で構築されているのは、何かすごい独自の進化を感じます。
[ここまでは1,000文字に含みません]




ビーカーについて書いていく、よーいスタート。


よく考えると、ビーカーをアルコールランプで直接炙るのってすごい怖いことだったのではないか?とこれを書き始めた今思いました。
小学生の頃のガラスって野球ボール、サッカーボールの一発で割れてしまうような弱くて気遣わなくちゃいけないものだというイメージが先にあって、だからこそメラメラと燃える火に炙られながらも中の液体を漏らさないビーカーという存在が、より奇怪に映っていたように思います。

そう思うと、ビーカーという存在はとても強固な人間と捉えることもできるかもしれません。
危険なものが流し込まれることもあるし、外部から熱を加えられることもある。でも決して吸収したものは流れ出させず、融合させて新しいものを作る。
そしてその過程は余すことなく外に見せるし、自分自身を測る目盛もある。空っぽに見えるけど、そうあること自体が自身の役割であることを理解し、突っ込まれようがかき混ぜられようが吸われようが凛としてそこに立っている。

なんとなく、広告代理店のクリエイティブディレクターさんってそんな感じがします。それも人柄もよく、仕事も十二分にできる人。
どこから繋げたのっていうくらい新しい見方をモノに示すし、成功も失敗も、その人が線を引くからすごくわかりやすくなるし。
危険な案件もうまく料理するし、それでいて周りを危ない目には合わせない(変なことをあえてやってしまった人は除く)。
こういう人はどこに行っても重用されますし、好かれます。面接の時の言うべきは、潤滑油ではなくビーカーだったのかもしれません。

しかし、そういう人が弱いのは不意の事故だったりもします。予期せぬタイミングで、悪意のかけらもない人から加えられたダメージで、昨日まで元気だったあの人はあっけないくらい簡単にバラバラになってしまう。そして取り返しはもうつかない。


なんだかしんみりしてしまいました。
割れてしまったビーカーは幸い私の知人ではいませんが、誰かに対して明確に「あっ割れかけてる」と思ったことは何度もあります。そういうとき、中の液体を思い切って捨てよう、と提案することは意味があるし、それをするときは自分が被ろう、という覚悟を持って、なんとなく仕事をしています。
それで損をするときももちろんあるし、信頼を損なってしまう時もあったけど、そういえば自分はその選択に後悔をしたことは今まで一度もなかったのです。

だってビーカーは洗って繰り返し使うモノですし、
役割は今のそれだけではないのですから。


(文字数:1029文字)


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