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脱落について(2024.07.16)

[ここからは1,000文字に含みません]
二十七日目です。
もうすぐこのマガジンも30日目を数えますが、そこを切り目にこちらの更新頻度を週一回くらいにして、別のマガジンを初めてみようかなと思っています。
文字を打つ習慣自体がある程度ついたので、一旦目的自体は達成していて、あとは見たことのない言葉との出会いと、そこから紐づく発想を記録する場にしたいなという考えです。それには、別に毎日じゃなくてもいいのかなって。

応援していた漫画、灼熱カバディがもうすぐ終了みたいです。お疲れ様でした。
ストーリーもさることながら、間違いなく昨今の漫画で最も見せ方が最も上手い漫画だと思います。単純に面白いし、熱いし、勉強になる。素晴らしい作品でした・
現在マンガワンというアプリで、なんと全話無料公開(ポイントなども関係なく読めます)中とのことなので、もしお時間があればぜひ。
[ここまでは1,000文字に含みません]




脱落について書いていく、よーいスタート。


あまりない、固有の名詞ではなく概念みたいな言葉。これについて書いていくのはかなり難しい気がしますが、とりあえず「落ちる」という表現が英語でもそうなんだ、という共通点に驚いたことがあります。「drop out」というものです。
ふと思い返してみると、日本語でも「脱落」以外に「振り落とされる」とか「落第」とか、「落ちる」という表現が失敗した・達成できなかったことを表現する際によく用いられます。
漫画『チェンソーマン2』では人間の根源的な恐怖として「落下」の悪魔が登場しましたが、そのくらい人間にとって「落ちる」ことは怖いのかもしれません。

なぜ「落ちる」ことが怖いのかを考えてみましょう。
物理的なことを考えるのならば、今いる位置からより高度の低い位置で降りることは、それ自体はそこまで問題のないように思います。
ただこれも、極端に差がある状態で補助器具などがなければ話は変わりますし、根っこの根っこにあるのはそういう部分ではないのでしょうか。大昔の人間、まだ老いと病気が同じだったころの人間が直接的に認識できた”死の恐怖”はイコール「怪我」であり、その発生原因は他の生物もしくは事故です。そして事故の中で最も発生しやすいのが「落ちる」ことでしょう。
つまり、私たちの遺伝子の中に「落ちることが危険」という概念が経験的に刷り込まれているのではないか、というのが私の考えです。

しかし、文明が発達し、ほとんどの”死の恐怖”を克服しうる状態においてなお人間が「落ちる」ことを怖がるのはなぜなのでしょうか。その問いに関する答えが「脱落」という言葉にある気がします。

「脱落」は「脱け落ちる」と書きます。「落ちる」を「今いる場所から見て、高度が低い位置に移動する」と考えると、「脱ける」は「今いる組織、もしくは今自分を保護している存在を切り離す」という意味があるように思います。どちらも「今の場所から離れる」ことを含む概念の言葉です。
人間は社会を形成して生活をする生き物であり、その規模は今よりも昔の方がずっと狭かったのです。いわゆる「村社会」、もっと昔なら「集落」と呼ばれるコミュニティがあり、その中で自給自足をするのが基本的な生存戦略でした。つまりその「ムラ」が「今の場所」であり、「生存の保証」であったのです。
そう考えると、「今の場所から離れる」脱落とは、「生存の保証」からも切り離される、半分もう生きてはいない人、のような扱いになるのではないでしょうか。

直接的に落ちるわけではないにしろ、共同体から離れていくことでその共同体の目線で見れば”死んだ"ことになるという論理。
ありがたいのは、今日までの発展のおかげで、一見脱落したように見えるものでも別の場所で楽しく生きられるようになったことでしょうか。


(文字数:1141文字)


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