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15の夜について(2024.07.03)

[ここからは1,000文字に含みません]
十四日目です。
今、お昼前の一番お腹の空いた状態で文章を書いています。
お腹が!減りました!やだー!ご飯を食べたい!
という「一刻も早くご飯を食べたい」というエネルギーを持ってすれば、あっという間に書き出しあっという間に終わるのではないかという仮説のもと頑張っています。
お昼何食べようかな。ということで頭がいっぱいになって書けなかったらどうしよう。

このポストがすごく秀逸でした。
上の「エルデンリング」だけではまだ面白くない。下の「エルデン開始」「エルデン終了」が本当にずるい。
おそらくちゃんとゲーム制作用ソフトウェアで作ったのだろう、文字のジャギジャギが愛おしいです。
こういう発想のできる人間になりたい。

[ここまでは1,000文字に含みません]



15の夜について書いていく、よーいスタート。


サビ自体は私の世代でも、なぜかはっきりと知っています。

「盗んだバイクで走り出す 行く先もわからぬまま 暗い夜の帷の中で」

尾崎豊 『15の夜』

正直どこで聞いたのかは全く覚えていませんし、普通に考えるのであれば触れる場所などなかったはずですが……なぜだろう。こち亀とかかな。
今の若い方は知ってるのか、少し気になるところです。

先述のサビはなぜか音程付きで知っているのに対し、そういえば曲全体をしっかり聞いたことはなかったなと思ってYoutubeで探してみました。
歌手名の「尾崎豊」もなぜか知っています。

意外だったのは、昔ながらのシンプルな曲調ながらなぜか「古い」っていう感じがしなかったのです。今でもこういう曲を作っている方はいるし、おすすめで急に出てくることもあるし、なんなら中野駅の駅前でこういう曲を歌っている人もいる。
最近は若い世代ほど「昭和」に憧れる、いわゆる昭和ブームというものが来ていると耳にしたことがありますが、それは置いておくにしても曲としての完成度が高い気がします。音楽のことは、分かりませんが。

そして特筆すべきはやはり歌詞なのかもしれません。豪速球ストレートで、若者の葛藤をぶつけてくるエネルギーの塊。
「盗んだバイク」という分かりやすいポイントに目を向けがちですが、この歌の本質はむしろサビに入る前のこの詞
「自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている」
に凝縮されていると思います。

私がうわっと思ったのは、「解らず」の部分。
尾崎豊さんが意識してこの漢字にしたのかは分かりませんが、普通今文章で書いたように「わかる」は「分かる」と書くことがほとんどです。

そして、この「分」という漢字は、「分別をつける」という言葉にも使われます。
納得いかないことも、意味のないと思ってしまうようなことをやらなければならないことも、とりあえず「分別をつけて」納得したふりをしてやり過ごす、それはこの歌が激しく拒絶している「大人」です。

しかし、この歌は「自分がなんなのか」という文言を、ただの嘆きではなく問いとして扱い、それに対して「解ら」ない、「解けない」ということを示しています。
つまり、尾崎豊さんはこの問いに対して向き合い、絶望し、それでも答えがあると思って相対していることをこの歌に込めているのだ。
私はそう考えました。

未成年の喫煙も、当然ながらバイクの盗難も、褒められたことでないどころか決してやってはいけないことです。
しかし大きすぎる問いに向き合った時、人はしばしばそのように、あり得ない行動をとってしまうこともあります。これが当たり前とする倫理観の人だったら、そもそもこんな悲痛な声でこの詞を歌うことはないでしょう。

私は好きでした。この歌が。
この気持ちを忘れないようにしていきます。

(文字数:1131文字)

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