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ダンガンロンパについて(2024.06.24)

[ここからは1,000文字に含みません]
五日目です。今日はすごく忙しい日で、なんでだろうと思いダイソーでホワイトボードを買ってそこに一覧で今のやることを書き出してみました。想像の倍くらい膨大で、一人の家で「わぁ」と一言呟いてしまいます。外でやらなくて良かった。ただどんなに忙しい日でも15分も空けられないのは嘘、というのを持論にしている身としては、とりあえず今日も文章を書いていこうと思います。仕事がたくさんいただけているのはとてもとても嬉しいことですし。頑張るぞ。
[ここまでは1,000文字に含みません]



ダンガンロンパについて書いていく、よーいスタート。


一応やったことのあるコンテンツが来てホッとしています。
もともとは名前を知っていたくらいだったのですが、職場の同僚に熱烈なファンがおり、履修(最近流行りの言葉で、便利ではあるがこれを使った段階でそのコンテンツとの“出会い”が枯れてしまいそうで使うのに慎重になっています)のためのコースまで入念に組まれてしまったため、とりあえず頑張ってやってみていたのです。
順番は確かスマートフォンで無印、2をやって、その後に小説の上下巻を読み、最後にアニメ、V3のような順路で進みました。絶対絶望少女(外伝作品)や各アニメなどは通れずじまいでしたが、一応これで一通りは通ったことになる……と愛好家の人が言っていたのでそうなのでしょう。


完走してみての感想(この言い回しが好きです、RTA走者の方がよく使われますね)は、う〜〜〜ん……一番は「同じものをゲーム機で、発売当時にやりたかった」でしょうか。

もちろん弾丸で矛盾した発言を撃ち抜くというシステムは画期的ですし、特にグラフィックデザイナーとして「血をピンク色にする」という発想には息を飲んだ記憶があります。ショッキング、グロテスクになりがちなスプラッターシーンをゲーム全体の、いい意味でトンチキでコミカルな要素に落とし込むための重要なファクターとしてすごく練り上げられた表現だなと感じました。

ただ、これは私の触れた環境が良くなかったのですが、やはりゲーム自体がおそらくゲーム機でプレイすることを前提にして作られているのだろうな、という部分をやはり色濃く感じます。

それは、例えば画面の大きさ。そして位置。
スマートフォンでプレイする場合、必ず自分の“指”が画面内のどこかに被りますし、必然的に大きさも小さくなります。これが何を意味するかというと、キャラクターの存在感を希薄にし、自分との次元的距離(二次元と三次元間での縮めようのない隔たり)が埋められ難いものになるということです。

ダンガンロンパは演出、システム以上に熱量を持つファンの方が意識しているのは何より“キャラクター”であると考えています。自分の愛着を持ったキャラクター、“推し”が次の瞬間にはやられているかも、あるいは犯人になってしまっていて、自分の手で終わりのスイッチを押さなければならないかも、そういった愛と実態の差異によって生まれる感情がダンガンロンパの芯にあるのではないかと思っています。

とすると、キャラクターの対してそこまでの思い入れがない、正確にいえば「思い入れを持つ前に亡くなってしまう、もしくはそれどころではない展開になってしまう」状態ですと、このコンテンツの全てを味わい尽くしたとは言い難いのかな、というのが個人的な所感です。

だから私は、「同じものをゲーム機で、発売当時にやりたかった」と言ったのです。まだコンテンツを噛み砕くのが自分だけでゆっくりとできた昔に。コンテンツを純粋に一対一で向き合いやすかった時代に。出会っていたら、私もこの作品に人生を狂わされた一人だったでしょう。


(文字数:1243文字)

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