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カノッサの屈辱について(2024.06.22)

[ここからは1,000文字に含みません]
三日目です。冒頭に日数を書き、範囲外で昨日の振り返りをするという型が存外自分に合っているようで、なんとか続けるとこができています。
一応自分で自分の文章を一度は読み返すようにしていて、昨日は密度がかなり高くなっていたのかな、少し余白があった方が読みやすいかなど、反省をしています。
昔自分の書く文章はずいぶん句点が多いねと言われたことがあって、そのことを今も引きずって、なるべくわーっと書くようにする癖がついているのかもしれません。
言葉が簡単に呪いになる体質です。のろいにも、まじないにも。
[ここまでは1,000文字に含みません]


カノッサの屈辱について書いていく、よーいスタート。


1日目と同じく、何も知らない題材です。なんとなく「カノッサ」が地名で、そこで敗戦した国の伝承か何かなんだろうなという予想を立てます。これでお料理の名前だったらびっくりです。『坊さんの気絶』『工兵の前掛け』みたいな。(私は食い意地が張っているので、よくわからない方向に料理の知識があったりします)

ふと、歴史の用語でこういった「地名+センセーショナルなワード」というフォーマットは結構ある気がしました。日本で言うと「桶狭間の戦い」とか「関ヶ原の合戦」とかが該当しますよね。意外と「徳富合戦(徳川vs豊臣みたいな)」のような主体の名前ではなく、そこに呪いを残すように土地の名前をつけることが、ままあるのではないでしょうか。

なぜなのかと考えてみた時、昔の大地って今よりもずっとまっさらだったのではないか、というところに行きつきました。
建物も人も今よりずっと少なくて、大地が人でなく自然のものだった時代です。そこに曰くをつけ、語り、伝承し、その所以を辿って人が住むという一連の流れは、大きな自然から一部を切り取って自分たちのものにする工程なのではないでしょうか。
そう考えると現代の「土地の印象を付与するために土地を冠する」行為はその逆転というか、人が本当の意味で「大地を所有する/自然を乗り越えている」ことの証なんじゃないかなあと、そんなことを思っています。


そろそろカノッサの屈辱について調べてみる

うわあものすごい西洋史。当たり前ですが。
読みながら考えて、それで書くのかなり大変そうです。残り時間4分しかないし。
なーーるほど、権力と宗教が争った結果、その時代では宗教が勝った、みたいなことなのかしら。確かに昔は(日本に住んでいるとあまり実感がないけれど)宗教組織の方が皇帝より権力があった、というのはイメージにある気がします。
防寒具も発達していない時代、ヨーロッパの冬の夜を三日間も過ごすのはかなり辛いだろうな……と思いつつ、教皇側から許しが出た後即反撃しているのは、流石のスピード感…!という感じです。臥薪嘗胆とかもっと長くなかったっけ、待ち時間。
故事について待ち時間がどうのというところですでに現代日本の安全性を覚えますが、でもその分すごい密度で生きていたんだろうなあ。

世界史も面白そうだし、新しく本など買ってみようかしら。

(文字数:939文字)

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