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人はパンのみにて生きるにあらず

聖書に出てくる言葉だ。

「人はパンのみにて生きるにあらず」

わしは聖書などを真剣に読んだことがないので、言葉の意味はよくわからぬ。ゆえに適当に書いてゆく。

人間の三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲。
しかしそれがすべてではない。

食わないことで空腹になりメシがうまくなる。
やらないことで敏感になりセックスが気持ちよくなる。
眠らないことで限界がきて、寝ることが極上の快楽に変わる。

そんな事実から鑑みると、
食わないことも、やらないことも、寝ないことも大事。

パンを食うことは大事なこと。
めしを食うのは大事なこと。
人は食わねば生きていけぬ。

しかし、食わないということもきっと大事なこと。
食うことも食わないことも、同じように大事なことなのだ。

しかし人はひとつのことに囚われてしまう。

家族のこと。恋人のこと。友達のこと。仕事のこと。生き甲斐のこと。
そりゃ全部大事だと思う。大事すぎるほど大事なことだと思う。


でもそれがすべてではない。



わしの夢は勇者ともう一度、刃を交えること。
それが叶うのならばあとはどうにでもなればいい、そう思っていた。
それがすべてだと思い込んでいた。

しかしそうではなかった。

彼女は確かに素晴らしい強敵であるが、
ほかにも素晴らしいものはこの世界にたくさんある。

たとえば、この音楽。

季節が変わりつつあるこの時期にピッタリな曲であるな。
こんな素晴らしい曲が2年間で300再生もされていないという事実。
わしはビックリを通り越してうれしくてしかたない。
わしはこの歌い手に出会えたことがたまらなくうれしい。

わしがこの歌い手に出会ったのは、ちょうど1年前の今くらいの時期だっただろうか。

わしは離婚し、持ち家を元家族に貸し、自分は会社の寮に入り、来る日も来る日も警備員の激務をこなしていた。

きっとそうしないと、この曲に、
そしてこの歌い手に出会えなかったのであろう。

もしもわしがもう一度自分にうまれかわり、再度この人生を生きるチャンスを得られたとしても、わしはまた同じように生き、同じように離婚し、同じように激務の仕事に就くだろう。

だってわしはまた、この曲が聴きたい。

女がすべてじゃない。
家族がすべてじゃない。
仕事がすべてじゃない。
平和がすべてじゃない。
金がすべてじゃない。
愛がすべてじゃない。
食欲も、性欲も、睡眠欲も、おれの人生の一部。
すべてじゃない。

おれはパンを食うためだけに生きているんじゃない。


全部だよ。
全部が大事だ。


こうして無職で働きもせずにダラダラすること。
これも大事なことなんだ。
愛する家族と別れることも大事。
愛する勇者と別れることも大事。
愛する友達を失うことも大事。
仕事を転々とすることも大事。
職場でトラブルを起こすことも大事。
孤独になることも大事。
noteを始めることも大事。
notoを辞めることも大事。
努力することは大事。
その努力が報われないことも大事。

そう、


おれは自分の人生を愛している。



だからどんなことも愛おしい。
うまくいかないことも。
むくわれないことも。
ひとりぼっちなことも。

いとおしい。

おれに降りかかるものすべては、
愛がそのかたちをかえたもの。

おれに関心を持ってくれる人が愛ならば、
おれを無視する人も愛。
愛がそのかたちをかえたもの。

おれに近づいてきてくれる人が愛ならば、
おれから遠ざかっていく人もまた愛。
愛がかたちを変えただけ。

ひきこもり、社会に背を向け、
毎日を無為に過ごしているだけだが、
それでも日々はこんなにも美しい。

この人の曲を聴いていると、
そういうことを感じてしまう。

わしは仕事を失った。
わしは家族を失った。
わしは信頼を失った。
わしはお金を失った。
わしは安心を失った。
わしは愛を失った。


かのように見える。


しかし実際わしは、なにも失っておらぬ。
最初から、なにも。

愛はすがたかたちを変え、
今もわしの周りをぐるぐる巡っている。
わしにはそれが見える。

なぜそんなものが見えるかって?


それはわしが魔王だからじゃよ。



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