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お金さえもらえればいいの?

妻が国際医療支援でカンボジアに行ったとき、現地の様子を話してくれました。

カンボジアは、ポルポト政権時代(1975年~1979年)に大虐殺があったことで、親がいない子どもたちがたくさんいたり、経済的に貧しかったり、現在もいろんな問題を抱えています。
そういった背景もあり、一部の地域では、有り余るほどNPO・NGO等の団体が支援に入っています。それにより、その地域のカンボジア人は、働かなくても生活していけているようです。

でも、そこのカンボジア人たち(特に男性たち)は、全然活気がなく、イキイキしていないというのです。
仕事をする喜びがないみたいなのです。
お金や物を与えられても、ほんとうの幸せは得られない、ということが、ここから垣間見えるのではないでしょうか。
(※もちろん、明日生きるための食事が得られない人に、物資を支給することは対症療法的に必要なことです。能登半島やウクライナへの「救援物資」も同じですので、誤解のないようお願いします。)

私たちは、誰だって「誰かの役に立ちたい」「必要とされたい」のです。
そこにこそ、人の喜び・幸せがあります。
人は、自分ではない誰かの役に立てることに喜びや幸せを感じられるようにつくられているからです。


また、こういう記事を拝見しました。

能登半島地震で、連日続く余震と断水で日常生活が取り戻せない中、市民を少しでも励まそうと、地元のスイーツ店がイチゴのショートケーキを無料で配布。オーナーパティシエの藤井幸治さんは「甘い物で少しでも幸せを届けたい」と約300個を準備した。
藤井さんは「うちも家の中はめちゃくちゃになったけど、まだましな方。
できることをしたい」と話し、手渡すときには「がんばりましょう」と声をかけた。
同市の平砂真美さん(30)は長男の蒼真君(6)を連れて並び、「地震からぱったりと子どもの笑顔がなくなった。きょうはうれしそうな顔を見られた」と涙目で話した。

(記事より抜粋)

このパティシエの方は、自分も被災して大変な中でも、「自分のことよりも、他の被災している人たちのために」という思いで、お金をもらえなくてもいいからと、ショートケーキを無料で配布されました。
受け取った人たちは、すごく嬉しくて幸せを感じておられます。

ただ物資やお金を渡されるのと、この無料のショートケーキを受け取るのでは、喜びがまるで違います。
何が違うのでしょうか?

お金で何とかしようと思うのではなく、この方の「誰かのために少しでも幸せを届けたい」と思って作ったケーキと真心の気持ちが、受け取った人の心を幸せにしたのです。

人々の幸・不幸を決めているのは、お金や物の多寡ではありません。
現代は、昔と比較にならないほど物が豊かで便利な時代になりましたが、心の病を持つ人は増え続け、自ら命を絶つ悲劇は繰り返されていることが、それを表しています。

よく議論される「ベーシックインカム政策」は、お金に困っている人たちに「お金さえ渡しておけばいいだろう」という、そんな思いが透けて見えるように思いますが、そこを根本的 に見誤っているのではないでしょうか。

システムや制度だけを変えても意味はありません。
人々の「モノサシ(価値観)」が変わっていくことが最も重要なことです。
「自分さえよければいいという”利己”」から「自分ではない誰かのためにという”利他” 」へと価値観が変わり、人々の行動が変わっていけば、社会の仕組みやルールなど は、それに則ったものへいずれと変わっていくのですから。


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