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240609の日記

大阪から専門学生だった頃の友人が遊びにきてくれた。
祖母がなんて子がくるの?と言って名前をペンでお手製のメモに書いたらしい。
(わたしの友人がくると毎回この作業をしている。次来てくれた時に名前と顔一致しないとダメだから、らしい。)

友人はお花を持ってきてくれた。
お花を眺めながら、お茶をするっていいな。

💐

友人が帰ってから祖母が自分の部屋へるんるん♬.*゚で飾っていた。
雨が降っていたけど、それも綺麗なはずだから、近くの唐招提寺へ行くことにした。
それぞれ今でも繋がりのある専門の友人たちの近況を話しながら歩く。

Lotus〜と紹介している人がいた
わたしはLotusと聞くと反射的にラブホを
思い浮かべてしまう
名前として使われていること多い
雨と時間なのか日曜日なのに人がいない

友人に場作りの話も当然することになる。
そこでうっかりと抜けていた視点を 友人から指摘されて 自分自身の心さえも大切にしていなかったことに気づく。

🌿「ケアをしている人」の場所も必要であること。(このケアをしている「人」もどの家族の立ち位置にいるかで大きく異なってしまうけど 安全な対話空間が必要)安全で対話ができること。ままならない言葉をままならないまま 安全に議論ではなく「対話空間」を作らなければいけない。

わたしが福祉の仕事を今していることと、場作りをしていることを話した後に、友人自身の家族の話をはじめて聞いた。
友人の祖父は長年ALSを患っていて半年ほど前に亡くなったこと。
急に当事者家族になった人達の視点があまりに社会から埋没されてしまっている。
だけど、ままならないまま話せない話題もある。
決して思想になってもいけない。
やはり、わたし自身もっと学び続けなければいけないと改めておもう。


今から書く話はあまりするべきじゃないのかなと葛藤することの方が多い。
だけど、話すことで対話が広がる場合もある。
当事者はわたしでなく、父であり、わたしたちは中途障害者の家族。(漢字の方が良いのかもしれないと今のわたしは思ってる)
わたしの父は 数年前に完全に視覚が失われて視覚障害者となった。
わたしが9歳の頃 難病が見つかり徐々に視野が狭くなった。
その頃 今はもういない祖母から「絶対にお父さんが病気なこと誰にも言うたらあかん」と言われ ずっと黙ってきた。
黙っていられなくなったのは家族で色んな壁にぶつかるようになってから。
主にそれを母が担っている。
例えば父の免許証を返しにいった時のこと。事情を受付の方に話し、母が父の名前を代筆する事への許可をもらったのに、後から来たその方の上司と思わしき人物から「本人が来ているのだから、本人が名前書けばええ!」乱暴な言い方をされたエピソード。
どうすればいいか分からないことがあり、地域における福祉課へ聞きにいくもたらい回しにされること。
1回だけ東京から市役所に 電話したこともある。
その時は娘として別の人物からも伝えると 何か変わるのかなとおもって。

ずっとこの話題たちは考えつづけれなければならない。
当事者によってエピソードにグラデーションがある。だけど安心出来る場所で対話をわたしもしたいと思う。

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