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『奇妙頂礼地方都市秘話』(2)

【おサボり】


 そういえば、だ。

 俺の地元について、端折りすぎた気がする。ここで補足するかな。
 そういえば、だ。
 俺自身のことも書いていないや。興味抱く人があまりいないと思っていたし。

 自分の経験した出来ごとは、なるたけ忠実に。

 ただ、「アレ?なんだったっけなあ……」って話になると、脚色してしまうかもしれない。

 怒られない範囲内での誇張の方が面白いでしょう?

 加えて、というか重ねて「聞いた話」は膨らんじゃうはず。伝言ゲームみたいなもので、気がついたら「そんな大げさだったっけ?」ってなるのはよくある。逆もしかり--結構深刻で大変な話が、ウワサの山に埋もれたり。

 あくまでこのシリーズは、伝言ゲームを回想して文字に落とし込んでいる――今風に言えば「盛ってる」--のを前提で、読み進めてもらえると嬉しい限り。

 ようこそ、街の話に。

 あくまで、俺がこの目で見聞きしたものを中心としている――。

【鳥の目】


 言うなればゴミを漁らないカラスのようなもん、俺は。眺めて分が悪いことには、自ら首を突っ込まない。接する相手にも引きずり込まれないよう注意する。保つ距離感を押さえておく。

 これらが地元で痛い目に「遭わない」術だったように思える。この心得は血のつながっていない、兄さん(兄弟関係みたいなモン)から教わった。「立ち居振る舞い」だけは気をつけろ、とも。

 じゃあ、裏道街道まっしぐらだったか?

 違う。紆余(うよ)曲折はあったものの大学はでた。とはいえ、中学時代の悪友たちに流されて、かれらと同じ方向に進んでいたかもしれない。かもしれないの話で、別軸の人生は想像しても「こうなっている」と文字に落とし込めないのが、「たられば」の厄介なところ。

 「たられば」の話の面白いところもある。それは「歩む道」がどういったものか、未知なところ。一度、裏道に逸れても最終は幸せな家庭を築いたり、社長になったり、なかには本職になったり、これまた、不思議なことになかには警察官になったり--。道はたくさんってこと。

 同じ道と書いたけれど、途中までは同じでそっから先は自分次第ってこと。

 話を戻す。

 中学ん時の俺――。撥ねてはいないものの悪友との接点はあって、一緒にいる時間が楽しかった。悪友以外の同級生や先輩とももちろん仲良くしていた。

 ただ、ここで。

 ヤンチャをしていたわけではない、同級生・先輩が中学卒業後に気がついたら、悪の道へ――なかには早く、なかにはじょじょに――進んでいった。ワルなんて言うと当事者に失礼だけれども、仕方ない、そう呼ばせてもらうしかない。

 んで、ワルと仲良くして、虎の威を借るつもりなんてまったくなかった。なんなら中学時代で、本当に「ワルい」人とは距離を置くようにしていた。

 うえの距離感の話じゃないけれども。

 あくまで俺はカラスだ。眺めてきただけだ。

【鮮度と事実】

 ――高校は市外のところで、地元に居る時間は短かったのかもしれない。そうなると「地元ニュース」が遅くに入ってくる。「〜が○○で……」といった類の伝言ゲーム。8割は良くないニュースだった覚えがある。残りは良いそれだったのかも。

 悪いニュースのほうが鮮明に覚えられやすいもの。ウワサが立つのは早いの。ところが早いだけで正確性は?となる。

 右はこう言っている・左はこう言っていると、話の辻褄が合わないことはもちろんあった。ところが高確率で悪い「地元ニュース」は右左で合っているケースが多かった。確かに微妙な違いはある。けれども、それはディテール程度。

 話の骨子は75%くらい正解。

 俺が市外の高校に通って、地元に戻ると地元ニュースが70%くらいは信ぴょう性があった。情報通でもないし、たまたま耳にして「ああ、そうなんだ」って反応するのがオチだった。で、入ってきたのが……〇〇が**先輩にヤキ入れられたとか、お化けのパーティ券を売っているだとか。

 地元の回覧板ってヤツは中学を卒業すると回ってきやすくなる。同級生時代はウワサもなにも、みんなが知っている話が多かった――〇〇って**したの?とか、本人に訊けたりした。答えないヤツもいたけれど。大体、その手のタイプは2種に大別できる――恥ずかしいから言えないか「言うな」と口止めされているか。

 それが、高校になると、みんなが同じ学校で毎日顔を合わせるわけじゃなくなってくる。「アレ?アイツは?」と思った時に、ふと回覧板が回ってくるわけ。早かったり遅かったりと、タイミングの違いはあっても。

【欲張り】

 俺が慕っていた、また、俺のことを可愛がってくれた先輩――兄さんと呼んでいる――が少年院に持っていかれたのは、何年もあとに知った。それは地元ニュースを通じて、ではなく、本人から聞いた話。

 ウワサ話は面白い。想像力を膨らますし、いかにも誇張されているな、と話し手の性格が見えることもあるから。次に自分もそれを粘土みたく、形を変えてパスを渡していくと自然と盛り上がっていたりする。

 ただ、本当に知りたい、是が非でも知りたい情報は、知りたいと願っているうちには、手に入ってこない。ずい分と時間が空くんだ。100%本当の話は、だいぶ後になって知ることになる。地元とは関係のない話になった気がするな。

 とはいっても、これは地元がどうとか関係なく、どこでも共通している法則みたいなものじゃないかな?どうだろうか。

 教えてほしい。

              (了)

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