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書評: 『統一教会 何が問題なのか』

とある日のこと。
Twitterのspace( 同時参加型LIVEトーク機能)で
2世信者がヒステリックに、教団の異常性を話していた。
話はまとまりがない。脱線する。憲法の話や自民党について、天皇制についてなど、あちこちに飛ぶ。支離滅裂だったのを記憶している。
それが統一教会(2世)信者への偏見として残っていた。

本著を読み「人と教団」とを結びつけて、
先入観をもつのは、自分の奢りに他ならないと自己を再発見。というのも、誤った信仰によって「ゆがめられた」人たちは数多くいるのだから。
ーー人生を。対人関係を。家計を。「文春」記者や有識者が、協会について論じている。それぞれ着眼点が異なる。
その数だけ、(元)信者のドラマがある。
 
洗脳体制の恐ろしさを、あらためて思い知った。染色されると、まともな判断状態では買わないものすら、すすんで買ってしまう。教義に染まっているからだろう。
ここにマルチ商法との親和性をみる。

信者2世の悲しき代表者ーー山上徹也氏。
元首相を殺めた。背景にあるのは、教団への怨嗟(えんさ)だったーー
「銃が欲しい」と関係者に伝えるほど、不平不満は募っていたようだ。
 
どんな道理があろうとも、殺人は許されてはならない。それを前提として述べたい。

頭脳明晰で、わりと裕福な家庭に生まれた山上氏。
母の「盲信」さえなければ、華やかな道を歩めていたのではないか、と思える。読み進めながら、あまりの不条理さに、感情移入をもしてしまった。善悪は関係がないと思う。痛切な「叫び」はーー罪とは別としてーー受けとめるのがヒューマニティーだと思うのだ。

8年超に及ぶ安倍政権。
賛否両論ある。いい結果を残した、負の遺産を残した、など。だが、ここでは安倍政権については論じない。

この長期政権のほころびを露呈するきっかけとなったのが、殺害というのが、話の焦点だ。裏を返せば、大きな「ショック」がなければ、政界と信仰宗教との癒着が表沙汰にならなかったのだから。

Twitterの話に戻る。
かのじょは何を求めて、あの場で発散していたのだろうか。答えは出ない。ただ、失われた自分を取り戻そうとしている姿は伝わってきた。
痛いほど。
再建途上にあると、突飛な行動に出てしまうのかもしれない、と回顧する。人によって、どんな行動に出るかは、もちろん違う。山上氏の取った、突拍子のない行動は、先述した通りだ。

最後に
政教分離がどうこう、と言う意図はありません。
山上氏がどういった思いで犯行に及んだのか「背景」が知りたく、購入した一冊。論点は政権でもありません。


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