文化人類学づいている
2019年になってから文化人類学づいている。
こじつけかもしれないけど、なんとかなくそう感じて仕方がない。
文化人類学は大学時代の授業でとっていて、興味津々に聞いていた。その割にちゃんと内容を覚えているわけではないけど、でも好きだったのは覚えてる。
文化人類学づいてるなと感じた理由は4つあって。
1つ目は、1/2〜1/6まで流動創生の期間限定拠点である遠野に滞在させてもらっていたこと。
遠野のイメージは、授業の中で繰り返し出てきた『遠野物語』と柳田國男さんと河童。9年前に知った土地にこんな形で訪ねるなんて、なんだかご縁を感じていた。
2つ目は、文化人類学の先生の授業で沖縄のフィールドワークに行った時、テーマを食にしていたのでスーパーマーケットを見に行ったりしていた。
1/12〜1/14のきな粉を探しに行く「山梨きなこ旅」では8店のスーパーマーケットなどを巡っていて、ふと当時のことを思い出した。全然成長してないなと思いつつ懐かしさが込み上げてきた。
3つ目は「精霊の守り人」をきなこ旅のお供にふと手にとってみたこと。高校生の頃から存在は知っていたし気になっていたけど読んだことはなくて。
まんまとハマった理由は、その世界観もあるだろうし作者の上橋菜穂子さんが文化人類学者なのも関係しているはず。その考え方が散りばめられていて、文化の継承や文明による捻じ曲げなどファンタジーだけどこれまでの歴史を辿っているようで面白い。
4つ目は、1/19に『おだやかな革命』を見たこと。その中でたまたま辻信一さんという文化人類学者が登場し、解説を興味深く聞いている自分がいた。
全部こじつけ感満載だけど、そう思いたいからそう思う。
これらの事を考えながら「大学時代結構楽しんでたんじゃん。」って気が付いた。
社会人になってから大学時代を否定していることがなぜか多くて。理系の仕事に就いたから、大学の時のことが何も役に立ってなくて失敗したかなとか、部活が途中から辛くなって楽しい思い出がどこかにいってしまっていたとか。
でもいま考え直してみたら、文化系が学べる学科に入ってなければ遠野に想いを馳せることもなく、そもそも文化人類学という言葉すら知らなかったかもしれない。
過去の経験が今を作っているんだなと実感できて。
なんとなく日本や海外の文化に興味があるからというフワフワした理由で決めたけれど、当時の私はちゃんと自分が好きな事を感じ取って選択していたんだなと。将来の職業云々よりも好きな事を優先していったのが自分らしいなと。
ここ数年は過去の自分を否定してばかりだったけど、「なんだ。ちゃんと自分の道を歩いてきてるんじゃないか。」って肯定できてきた気がします。
そんな事を思い出したら、また日本や海外の文化だったり文化人類学をまた学びたいなと思い始めてしまっていて。
もっといろんな場所に行って自分の目と耳で感じたいし、いろんな事象を知りたいし。
今年は学びの年にして、もっともっと文化人類学づいている年にしていきます。まずは何から始めようかな。
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