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金曜のバカとバカな私

 『金曜のバカ』。護身術系JKと変態ストーカーが護衛術を披露しあう、異色のバカコメディ。バカだ。バカ過ぎる。発想がバカそのものだ。

 という訳でこんにちは、名雪七湯です。今回は私が読書にはまったきっかけについて語りたいと思います。人生、複雑怪奇であり一概になにかの要因を特定するのも困難かつ、成り行きで生きている身ですが気軽な纏めです。

1、読書なんてくそくらえ時代

 15歳。それが私の転機です。結論から言うと、『金曜のバカ』と出会い私が読書にはまるようになった年齢。中学も三年目に突入した時期でした。

 私はそれまで15年間「読書なんてくそくらえ」で生きてきました。小学校ではまっていたのは、カードゲームと漫画と近くの公園を走り回ること。子供そのもの。文字まみれの本に向き合うなんて到底できない子でした。

 宿題はちゃんとしてくる真面目ちゃんでしたが、読書感想文は苦手でした。本を選ぶことができない。本屋の一角にそびえる、「読書感想文コーナー」。夏休みになれば、親と一緒に書店に出掛け1時間ほど店内をうろうろしました。優柔不断な性格は小学生から変わっていないのです。

 そして出した結論は『走れメロス』。適当過ぎる。

 適当に読み進めては適当に感想を「思いました」「思いました」「思いました」で締めくくったのは、悪いことだと思いました。

 当時は漫画が大好きだったので(『バクマン。』など)、文字だけという本は私には考えられないものでした。絵がない小説なんてあり得ない……。

 ただ、それも少しずつ意識が変わり始めます。

 そう、「ラノベ」の流行です。クラスに一人は出る、読書感想文をラノベで書くやつ。そういう人が周囲で出始め、私も徐々にラノベに興味を持つようになります。話に着いていくためでもありましたが。ラノベは大衆文藝と比べて「ライト」というニュアンスから馬鹿にする人もいますが、オタクを読書の沼に連れ込むには格好の存在だと考えます。「メディアワークス文庫」の創設理念もそんな感じだった気がします。

 なんやかんやでラノベに興味を抱いた私が手を出したのは『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』でした。これがまた面白い。ラノベというワンテンポを挟んで、段々と小説に手を出すようになります。

2、バカは私だった時代に突入

 食わず嫌いの馬鹿馬鹿しさに気付くには時間が掛かるものでしょう。子供の内は美味しいものだけ食べていればいいのですから。ただ知らないことは経験するまで知らないまま。経験と行動を大切にすれば人生は変わります。

 私はラノベにどっぷりはまる、ということはなく案外すぐに一般文藝に手を出します。人生でラノベを読んでいた時期はかなり短いですが、今考えるととても大切な時期だと分かります。今でもちょくちょく読みますが。

 そして手に取った『金曜のバカ』。カドフェス2015で店頭に並んでいたものがびびっときたので、買ってみた。それ以上のことはないです。そしてページを捲る。捲る。バカだ! と叫ぶ。捲る。バカだ! 捲る。捲る。

 『金曜のバカ』は越谷オサムさんの著作であり、「バカ」をテーマにした短編集です。バカのバカによるバカのためのバカ。そう、本当のバカは自分なのです。小説をずっと敬遠し続け、経験を後回しにする。そのバカは6年経った今も読書を続けています。読書の魅力に真に出会った瞬間でした。

 人生、短いものです。たった百年しかありません。一世紀しか乗り越えられない。しかも明日死んだらどうします? 人生は宝探し、というのは私の好きな言葉ですが(『水曜の朝、午前三時』より引用)、人生は経験と行動が肝心です。迷ったら進め、後悔先に立たず、心の端でも留めておけば、人生がちょっと変わったり変わらなかったりします。

 急ぎ足でしたが、私の人生観のお話でした。では、またどこかで。


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