ドラマ『サ道』ストーリーの動線が完璧だった件について
はじめに
『サ道』、ハッとさせられました。
サウナブームが到来し、狂ったようにサウナに通う私のようなミーハー野郎が巷に溢れる今日。『サ道』には、そんなサウナブームに一石投じるメッセージが込められていました。
(もし『サ道』をこれから見はじめようと思う方がいましたら、エピソード1から順に見ることをおすすめさせて頂きます。気になるエピソードから見ていっても十分楽しめるとは思います。しかし、ドラマ『サ道』が伝えようとするメッセージを真っ直ぐ受け止めるためには、ドラマの動線に従って、誘導されて、最終話まで見るのがベストだと私は思います。)
「サ道」とは
テレビ東京で2019年7月から深夜帯に放送された『ドラマ25「サ道」』。原作はタナカカツキの『マンガ サ道』(講談社モーニングKC刊)。Amazon Prime Videoで全話視聴可能です(2020年1月26日現在)。
主な出演者は原田泰造、三宅弘城、磯村勇斗(個人的にはエピソード10に出演する荒川良々がいい味出してたと思う)。
主題歌「サウナ好きすぎ」(Cornelius)も素敵です。
あらすじ
サウナに興味がなく、むしろ苦手意識をもっていた主人公・ナカタアツロウ(原田泰造)。しかしある日、謎の男「蒸しZ」(宅麻伸)に出逢ったことで、サウナの気持ちよさを知ってしまう。
偶然さん(三宅弘城)やイケメン蒸し男(磯村勇斗)など個性的なサウナ仲間とサウナのある日常を楽しむ一方、蒸しZの姿を追い求め、全国の理想のサウナ施設を探訪。
“サウナ”とは?“ととのう”とは?その解を求め、今日もまた、サウナ旅を続けている…。
(テレ東HP https://www.tv-tokyo.co.jp/information/2019/06/25/216070.html【ストーリー】より)
毎エピソードの構成は「主人公のナカタアツロウ(通称・なかちゃんさん)(原田泰造)が実在するサウナに赴く」→「ととのう」→「めでたし」というシンプルなもの。エピソード毎、全国各地のサウナが紹介されます。サウナを楽しむ原田泰造を眺めながら、サウナのコツや豆知識なんかを習得できる内容となっています。
原田泰造の裸映像の連続ですが、しっかりボカシが入っているため安心して鑑賞することができます。
ストーリー展開
以下で全話通してのストーリー展開、それを通して本作品からのメッセージを考察して行きますが、まず、キーワードとなる「ととのう」という現象について説明します。
サウナブーム到来と同時に普及した「ととのう」という言葉。一般に、下記のように定義されます。
サウナ、水風呂、休憩を何度か繰り返すことにより、心身が完璧に調和された状態。 五感が冴える、疲労が取れる、雑念が消えるなど様々な効果が言われている。プロサウナー濡れ頭巾ちゃん発祥のワード。(「これで全てがわかる!サウナ用語集【サウナWiki】」https://saunatime.jp/sauna-wiki/)
個人的な感覚ですが、サウナーがサウナを語る上で、自分はそのサウナで「ととのったorととのわなかった」は避けては通れない評価ポイントとなっているように感じます。日本最大のサウナ検索サイト「サウナ イキタイ」のレビューを見ても、「ととのったか否か」または「どのようなサイクルでととのったのか」という内容のものが目立ちます。この「サウナに行ったらととのうべき、ととのうが良い、ととのってなんぼ」的な風潮を「ととのい第一主義」と名づけたいと思います。
この前提を踏まえ、以下でドラマ#1〜12のストーリー展開に伴うととのい観の変化について述べていきます。
#1〜#10
『サ道』では、全12エピソード中、エピソード1からエピソード10までは主人公が
「サウナに行く」→「ととのう」
ことでストーリーが成り立っています。「ととのい第一主義」が前提にあるストーリー構成です。視聴者も主人公がととのうことに期待し、ととのうことが当たり前・必然だと思って観ていると思います。主人公も、ドラマ作成者の提示するサウナ観も、視聴者も、みんな「ととのい第一主義」に従っているため、観ていて違和感がなく、心地よいです。
#11
ところが、エピソード11で突然、主人公がととのわなくなってしまいます。主人公は「西の聖地」と呼ばれる熊本のサウナまで赴きますが、なんと、結局ととのうことが出来ずに帰ってきます。主人公はととのえないショック、苦しみのあまり、サウナ引退をも考えます。
#12 (最終話)
ととのうことの出来ない地獄の期間を経験したことがきっかけとなり、主人公は苦しみや焦りの原因が「サウナへの過剰な期待」だと気付きます。そして以前より、ととのうことに固執しなくなります。作中の言葉を借りると「サウナを信じるな」という思想に至ります。
#12では 、#1〜#11まで信仰してきた「サウナに行ったら必ずととのうべき」(=ととのい第一主義)思想から主人公が脱却し、次のステップに移ります。この#12で主人公が到達した「サウナで必ずととのう必要はないんだよ」的な思想を「修正ととのい第一主義」と名付けます。
つまり?
そう、実は#1から#11までは全て、「修正ととのい第一主義」を提示するための前置きだったのだ、「ととのい第一主義」に染まってしまって疑わないサウナーの頭を殴るための罠だったのだ。
ドラマ『サ道』は全話を通して、「ととのうことにそんな躍起にならなくてもいいんじゃない?」というメッセージを伝えようとしています(多分)。サウナブームが起こり、「ととのう」ことがフューチャーされている今、まるで競技か何かの様にサウナに入り、ととのおうとしている、そんな人もいるのではないでしょうか。サ道の主人公と同じく、ととのはないことに焦ってしまう人もいるのではないでしょうか。
サウナでととのうことは本当に気持ちがいいし、実際みんな気持ち良くなるためにサウナに入ります(多分)。ととのうことを目的にサウナに入ることを否定しようとは思いません。ただ、自分含め、その欲望が行きすぎてる感が否めません。
気持ち良くなるために存在するサウナが、過剰な「ととのい第一主義思想」により人類を苦しめる悪になる可能性がある。ドラマ『サ道』は迷える子羊を量産する昨今のサウナブームに警鐘を鳴らしているように感じました。
おわりに
そんな感じで、『サ道』を全話見終わった後もう一度見直してみると、最初に見た時とは全く違った印象を受けます。劇的なストーリ展開のあるドラマではありませんが、何度も見たくなるような、そんな作品です。
よければ一度見てみてください。サウナにも行ってみてください。
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