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IoT事業に至る経緯を仕事軸で

現在、製造業の上場企業で開発系子会社の代表をさせてもらっています。また、IoT事業を立上げ、拡大に向けて展開しています。

これを書いた目的は、ツイッターを2019年12月後半よりスタートし、主として仕事軸としての自分の事をもっと知って貰おうと思ったことです。

今に至る経緯を振り返ると、かなりぐにゃぐにゃですが、、緩い文章ですので、気楽に読んで頂けると幸いです。

スタートは大学在学中にかるーく趣味で始めたバンドがきっかけです。


1)バンド~レストラン&事務所 2年

大学時代は氷河期ということもありましたが、就職活動もせず、親にも相談せず、勝手にバンド活動(私はベース担当)を継続するという選択に落ち着きました。サラリーマンに一度なってしまったらそこから辞めて音楽活動するなんて出来ないだろうと、その想いだけです。

プロデューサー発案でメンバーがバラバラにフリーターするのではなく、一緒に食扶持稼ぐ&一緒にいる時間を増やす、そしてライブも出来る空間、さらに裏でレコーディングも出来る、ということで神奈川にある湖畔の超ド田舎でイタリアンレストランと音楽事務所を地元友達も巻き込んでやってました。音出しても迷惑にならんし。超ド田舎からメジャーデビューってストーリーがあったそうで。

お金は大手レコード会社からスピンアウトを狙ってる業界人という超怪しいプロデューサーK氏に出してもらってました。笑

ま、世間一般から見れば超ド底辺です。ストリートミュージシャンしながらライブ活動にイベントに参加させてもらったり、ポップ作ってデモテープ作って、レストランも素人ながらレシピパクって、結構美味しかったと自負しますが、まったく金にならん。。。毎日まかないパスタ食べてた。吉野家すら贅沢。でも夢だけある。みたいな感じでしたが、悲壮感は無かったですね。オリジナル楽曲をやってると、それだけで楽しいというか。そんな時代。でもそんな時代は長く続きません。レストランはカツカツで、借金まみれ、プロデュースしてくれてたK氏の資金が付きてENDを迎えます。ちょっと書けない事態もあったり、書こうと思えばこの辺りはいくらでも濃いぃ話が書けてしまうので、この辺で打ち止めます。


2)派遣エンジニア 2年

バンドやレストランを後にして、その当時は第2新卒とかそんなオシャレな?言葉もなくて、いきなり中途採用かと途方に暮れるも、結構お気楽に家でダラダラして、その当時辺りから出てきた派遣という仕事の仕方をネットで知り、やっぱり手に職はエンジニアだろ、みたいな安易な考えで技術系派遣の一括登録サービスに登録すると、即ジャンジャン携帯が鳴り、一番最初に繋がった縁を頼りに恵比寿にある雑居ビル6Fの小さな派遣会社からの紹介案件でサラリーマン生活をスタートさせます。

ネットワークエンジニアというかフィールドエンジニアというか、工事業者というか、、当時出てきたばかりのADSLルーターをお客様の家に設置して、つなげる簡単な仕事。都内をぐるぐる回って1日5件ほど訪問して終わりです。ま、慣れちゃえば楽な仕事だったのですが、1週間ほどで、本部からお呼びがかかり、開通本部というトラブル対応部隊にわけわからないままに異動。若くて使い勝手が良さそうに見えたのかな。

開通本部では結構なネットワーク専門用語が飛び交ってましたが、ド素人でも慣れちゃえば専用機器使いながら、トラブったお客様の気持ちをなだめながら、わりと順調に仕事は進みました。

ただ、法人対応になってからは、かなりプレッシャーが強く、、、相手は企業の情シスが多く、ネットが繋がらないと、彼らも上から責められてるんでしょうけど、とにかく平謝りする感じで。ネットワークってNTTに牛耳られてますから、共通の悪者にして、ポイントずらしたりして、なんとかやり過ごしたり。

ここで正社員の話も出てきて、まぁそれもいいかな、なんて思ってた矢先に経営破たんを新聞で知り、、ソフトバンクに吸収されると。銀行の貸し剥がしが横行していた時代です。

ベンチャー特有の活気のあった社内からどんどん人がいなくなり、、、雰囲気もあったのですが、ここで正社員やるより、他の職場もみたいなとの想いが強くなり、違う派遣先へ行くことに決めました。

次は大手電機メーカーのソフト開発部隊で、評価の仕事。前職と違い、わりとゆったりした時間が流れます。流石に大手ですので、自分が休もうがサボろうが影響ないですよね。そして延長せず契約終了します。まぁ、大手で派遣だとコマというか歯車に近い感じがあって、自分には合わなかったですが、正社員の方もみんなよくしてくれて、こういう世界もあるんだと勉強になりましたね。

エンジニア業界は正直言うとパソコンのスキルをタダで頂くために入ったようなものだったので、ずっといるのはなんとなく違うなーなんて思っており、でも次のビジョンがあるわけでもなし、、とりあえず営業でもするか、みたいにお気楽に考えて転職雑誌をちらちら見てた時に、父からお叱り&会計を勉強しろとの事。そしてTACへ。


3)専門学校~IPO~経理 5年

簿記は特に工業簿記はロジカルなのでわりと楽しかったですが、よくわからない取引の仕訳は結局頭に定着しなかったですね。

試験受ける前に上場準備会社があるとの父からのコネで入社。簿記の勉強は疎かになりました。。検査装置を作る会社だったので、組立から始まり、現場の仕事も経験、本業は上場準備業務なので、業務フロー・規程の整備・書類の整備などを銀行からの出向の方と一緒に作り上げてました。また、部品工場を立上げるPJでは原価計算方式の構築を工場に張り付きで覚えたての原価計算の知識で、もちろん専門書を熟読し、仕組みを1から作り上げました。苦しくも大きな目標を一人でやり遂げたこの経験は非常に非常にその後の人生の役にたってます。その間に生産管理と製造もやり、車通勤していたから出来たのですが、結構深夜まで働いてました。若かったので出来たような気がします。

結局上場はできず、上場準備2年、その後は経理を3年やって退職しました。経理を覚えられたのは良かった。

その他のスキルも組立て、生産管理、製造、上場準備、内部監査、経理、と幅広く業務を覚えられたことで、会社の成り立ちみたいなものを肌感覚として理解出来たと思います。


4)自堕落な日々~初の本格的な転職活動 8ヶ月

紹介してくれた父に退職を報告もせず、社会人になって復活したバンド活動をしたり、ライブしたり、日本中を車で放浪したりして半年を過ごしました。まったくダメな息子だと我ながらに思います。。そして父の寛大さ。頭が上がりません。

ぼちぼち就活やらんとなーと、自力で初めての就活。今までは派遣やコネだったので。とりあえずネットで調べてると人材紹介という便利なものがあると知り登録。

ジャンジャンメール来るんで、コピペみたいなメールは無視して、熱意を最優先に絞り、大手過ぎず、小さ過ぎず、なかなか良さげな紹介会社からのメールに返事を出し、面談する事に。

面談時に100社ほどの情報を頂き、3日で40社まで絞れとの宿題。これが結構大変で、めちゃくちゃ頑張りましたね。その当時は小さくも、今をトキメク会社も結構ありました。

半分の20社ぐらい書類通り、その半分で面接、2次や最終には進むも2ヶ月は決まらない日々。トータル20~30回ぐらい面接したような。職種が経理や管理マネージャということもあり、採用は1名が多く、狭き門だよなぁとは思ってましたが、かなり苦戦しました。ぶっちゃけ「取り繕ってた」んですね、面接で。綺麗にまとめようとし過ぎていた。その後は自然体のカッコつけないトークに切り替えてから今までの苦労が嘘のように、次々に内定出まして、1番熱意を感じた3年目の人事テック系ベンチャーにトントン拍子で入社を決めました。

5)ベンチャーマネージャ 3年


役割は管理本部マネージャー、31才にして初の管理職です。平均年齢は27ぐらいだったから私は少し上だけど、今までは製造業でおじさんが多かったので、新鮮でした。

役割は財務、経理、資本政策、調達、人事、総務、情報システム、つまりバックオフィス全部と金融機関、VC、採用など営業以外の窓口全て及び社長の相手という驚きの守備範囲。Pマーク取得PJもあり、1年目は毎日終電近くまで仕事してました。

この会社は、新しいジャンルに挑戦してたのと、社長や役員がボスコンなど大手コンサルや大手投資銀行で活躍していた方々だったのもあり、日本の有名VC7社が入ってて、サイバーエージェントからも出資してもらったりと注目はしてもらってました。結局は柱にしたかったビジネスがなかなか芽が出ず(その5年後ぐらいに日本にその領域、メンタルヘルスが定着していきます)、ゲームなどにも手を出して散財してしまい、うまく行かずで、わたしもその辺りから会社の目指す方向と違うなと感じでおり、35才までに起業をしたいというおぼろげな夢もあり、その会社で仲良かったエンジニアと起業に向けて舵を切り退職しました。

6)独立準備そして無職 1年

退職する前から起業企画を練ってたのですが、そのエンジニアとはバンド繋がりもあり、音楽を絡めたWEBサービスを構想してました。

が、どうも熱量が違う事を感じ、3ヶ月ほどで決裂してしまいます。は、はやいぞ。。そしてやばい。。

自分だけでは形に出来ない日々で悶々とし、せっかく熱意を持って独立に向けた気持ちを大事にしたくて、1人でも出来るビジネスを探しましたが、イマイチぴんと来ず、模索するもズルズルとした日々が流れて行きます。実質初めての無職。精神的にも追い詰められて来てたような、、でも性格的になんとかなるかな、と思いつめたりはしなかったですね。

7)2度目の転職活動 1ヶ月

とりあえず人材紹介に登録して社会復帰を図ろうと実質2度目の転職活動、これは今までの経験を活かし?あっさり3社内定をもらい、先方の熱意と自分の直感を信じ、わずか3週間で入社を決めました。我ながら決めるの早すぎ。笑

8)上場企業での経理~経営企画 4年

渋谷にあるセールスプロモーションで上場企業です。上場企業の正社員は初です。経営企画として意気揚々として入社しましたが、3ヶ月後に会社都合で経理へ異動。。突然主力が辞める&自分の経歴にフィット、と会社は判断したんでしょうけど、、中途なのにこんな事ある?酷い扱いだと思いましたが、まぁ、また転職活動面倒くさいですし、上場企業の経理は初なので覚えることも沢山あり、キャリアにも役に立つと思いを新たにし、自分の経理の経験活かして相当活躍できたと自負しておきます。

その会社で出会った会計士の友人が退職することで空いた経営企画のポジションに社長へ推薦してもらい、再び経営企画にカムバック。その当時は東証2部・1部への鞍替えPJが全社としての目標になっており、その最前線で活躍できました。他にも2~3のビジネス立上げに経営企画として参画出来たり、ファイナンス、投資家周り、決算説明会なども主担当として出来たこと、何よりは創業社長の横で働けたことが最大の財産です。会社の仕組みや儲けるビジネスモデル・社長としての考えなどを吸収できたように感じます。

9)子会社立上げ~新規ネタ探し 2年

実は、今いるグループは実の父が創業社長でして、その弟、私からみるとおじさんから子会社を立ち上げたいから手伝って欲しいとのショートメールを貰います。40才を前にして、父が立ち上げた会社で働いてみたいとの想いが強かったので、こちらにジョインすることにしました。※前職の社長にも辞める1年前ぐらいからこの話は伝えておりましたので、円満退職出来ました。

入ってみると、、、製造業なのですが、なかなかの昭和な感じの工場で、、前職とのギャップはかなりの衝撃でしたが、自分で決めた道なので、粛々と子会社立上げします。黒字の製造部門と、赤字の開発部門があり、この開発部門を立て直すことが目的です。まずはエンジニアの実力を査定しないといけませんが、これが厳しい。赤字に完全に慣れてしまっているためか全く覇気も無ければ危機感も無い。こりゃダメだと思い、本社機能の立上げと同時に、このレベルのエンジニアでも出来る仕事を作らなきゃと、独断で新規事業を探し回る日々に突入しました。

そんなこんなで展示会を中心にとにかく足を使い、所属しているエレクトロニクス業界に限らず様々な業界の方と会話し、知識を仕入れ、自社のレベルで出来そうな案件として「農業自動化(6次産業)」を企画しました。これは現在進行系で自動化装置の開発を四国にある農業販社様とコラボして進めています。

そして、この活動の中で出会ったベンチャー社長N氏とのコラボでLPWA通信を中心にした「IoT事業」を立上げ、こちらは事業として育てようと注力して今に至ります。

10)子会社代表~事業立上げ 3年目

話は前後しますが、社長就任時には、私のおじである前社長から引き継いだ2つの大型案件があり、それがとてつもなく難儀な代物で、、蓋を開けたら炎上しており、、就任と同時にいきなり苦難の連続からのスタートでした。

1つは終えているので概要は書きますが、1案件1億円以上の半導体市場向け装置を設計から製造、設置まで。クライアントはアメリカの有名スマホメーカーA社。その当時の体制ではとても手におえるような規模ではなく、進行中に設計者を採用しチームビルディングするというなんとも危うい状況でしたが、なんとか訴訟にもならず1年かけて納品出来ました。もし遅延していたら、損害賠償半端無かったのでは。。。この期間はかなり関係者に頭を下げました。社長の仕事はトップとして謝ることでもあるんだなと理解しました。

もう一つは現在進行系で詳しく書けませんが、案件規模は5年で100億という、また怪しげな。。。もちろんその当時の体制では立ち行かずチームを編成するために採用の日々。やっつけですが、なんとか形にしました。この案件についてはたくさんたくさん書きたい事があるのですが、、書けませんので、この辺で。


【まとめ】

と、まぁ、、自分なりには点と点が繋がって線になって来たなと。


全部併せて22年の社会人生活。あっという間といえばあっという間ですが、振り返ると。。いろんなことしました。

フリーターや派遣、起業準備、無職から子会社社長まで。業界は製造業から人材・IT・広告、会社規模もベンチャーから上場起業や大手まで、とても幅広く経験させて貰いました。仕事も会計を中心に企画・経営にシフトしてやらせてもらってます。

感じるのは、まずレールは自分で引けるということ。新卒で企業に入れなくても横入り出来る。仕事で専門性を身につければ会計士などの専門家とも会話は出来ます。

そして、働き方も業界も職種もいろいろありますが、期間期間で区切っていろんな生き方をした結果として、コアはどんな仕事でも大差ないのではと思ってます。

つまり結論としては「今」を大事にすることなのかなと。そうすると点と点が線として繋がるように想います。

そして、そのためには、どのような組織に行っても、人との繋がりが一番大事なのかなと。人と競争するのではなく、自分の存在感を「どこで」「どうやって」発揮するかが大切だなと。

そのためには自分の得意や長所は何かを深堀りした方がいいと思います。そして、直感で構わないと思いますが、なんとなーく組織や仕事が合わないなと思ったら動いてみる、そして改善が難しかったら離れてみる、でいいのではと思います。逃げることは負けることでもないですし。

長々と書きましたが、なかなか終わらないので、この辺にしておきます。笑

拙い文章ですが、自分の振り返りとして有意義でした。少しでも私の事が皆様に伝われば幸いです。

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