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知覚の感光板と、聴くこと

友人の結婚式で上京したので、アーティゾン美術館へいってきました。Facebookで友人が行っているのを見て思い立って。限られた時間ではありましたが、足を運んでよかったと思っています。(感謝)

2022年7月10日までは、展覧会が3つ(!)開催されています。
中でも、ジャム・セッションがとても素敵な展示で記憶にも残っていますが、noteにも文字として落としておきたい。

展覧会情報

ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策

ちなみに、今回のジャム・セッションとは

「ジャム・セッション」は、2020年1月に開館するアーティゾン美術館のコンセプト「創造の体感」を体現する展覧会です。アーティストと学芸員が共同して、石橋財団コレクションの特定の作品からインスパイアされた新作や、コレクションとアーティストの作品のセッションによって生み出される新たな視点による展覧会を構成します。過去から現代、次代へ向けての架け橋となるプロジェクトを目指します。今後、毎年一回開催する予定です。

今回は、絵画×写真が一つのテーマとして、それぞれの役割というか立ち位置の共通点や違いを感じることができました。

芸術家が制作をしている時、その自由な脳は感覚を受け止める知覚の感光板のようでなくてはならない

セザンヌのこの言葉が印象に残っていて

芸術家の意思はすべて沈黙でなくてはなりません。自分の中にある先入観の声を一切黙らせ、忘れ、忘れ去り、沈黙を守り、完全なこだまになるべきです。
そうすれば、芸術家の知覚の感光板すべての風景が映されるでしょう。それからそれらをカンバスに定着するため、外在化するため画家の手技が問われる。ただし謙虚なる手技です。

ポール・セザンヌ
ほんと、好きだわ

写真は断片的で、そこに現れているのは時間的にも空間的にも、撮影者が接した世界のほんの1部です。しかしそこには人間が見落としてしまうような細部いわば潜在的な世界が含まれている。断片的で、過剰。写真のそうした性質に魅力を感じます。(中略)
写真を撮るために見るのではなくてその場所が見させてくれるものを受け止める感じです。その場所で自分の感情が伝わる事は避けたい。だからカメラに託す。そのイメージは実はその場所のことを雄弁に物語ってくれるのではないかと期待しているのです。

鈴木理策


脳はあくまで感光板で、という感覚が何かに似ているな、と思って考えたら、「聴くこと」に似てるのかも、と思い始めて。すごくふわっとしながら何が起こるか分からない期待感のようなものがあるなかで、安心感があって。うつわ的。正直この感じは言葉で伝えきることができない。ほんと、言葉で表すのは限界がある。だから、美術館に足を運ぶのが好き。

美術館の建築も素晴らしかった…館内のサインもシンプルでデザインがカッコよくて、かつ分かりやすかったり。このなんかもうこの写真とか、もはやモンドリアンみたいな楽しさ。

たくさん触発がありました。
視線の話もおもしろかった。

今日はこの辺で。

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