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4/29(月)-5/5(日)の記録


●5/4朝 和歌山へ向かう南海電車にて

日が暮れてから眠りに落ちるまでちあきさんとのおしゃべりは尽きず、生きていくこと生活をしていくことって難しいねという話をひたすらにしていた。
お互いに寝落ちしては目を覚ますを行き来して、そのたびにちあきさんが夢見てたと言っていた。どんな内容だったかは聞いてないけれど、夢の中でもちあきを生きているんだろうなと思った。

ただただ自分のままで生活していくことがどうしてこんなに難しいのか。それはおそらく絶妙に適応できるがゆえとか、でも割り切れないものがたくさんあって、いっそのこと全部手放してしまえられたらいいのにな。なにかを極めることもどこかに行き切ることもできず漂っている。

はじめましての人になにをされているんですかと聞かれるたび、身体がぎくりと波打つ。口ではへらへらと流して、一体なにをしているんでしょうねと胸の中で返事をする。正面を向いて答えられない自分が情けなくて、ちょっと隠れてすこし泣きたいです。それをぐっと、ぐっと心で堰き止めている。

目の前に現れた出来事にたいして、ひとつずつ考えて決めて理由を言葉に変換して動くことをたくさんやってきたので、最近はグレーなままで、決意未満の立ち止まれる状態で進んだっていいんじゃないかなと思っている。まあそれだって決断なんだけど。

説明できない気持ちばかりで伝えたいのに伝えられない。
あいかわらずふらふらとしながら、曖昧な白線の上を歩いている。己の輪郭をなぞっては見失って、ぼやける自分の形をいつまでも探している。


●5/6 帰りのサンダーバードの中で(眠れない)

去年まで住んでいたマンションの横を通る。
裏に花屋さんがあって、この時期はマンションの駐車場を使って母の日の準備をしている。作業用に使う見慣れたテントが出されていた。

塀にはジャスミンの花が咲いている。ジャスミンはメロンのような香りを漂わせることを知ったのはこの場所だった。近所に住む友人とここで待ち合わせて、お土産やお裾分けを何度も渡しあったりした。友人は夏になったら外国へ行く。
いろんな思い出を並べては広げながら、キャリーケースから伝わるふるえを握りしめて歩いた。

数日前、かま下に行って「ただいま」とつい口に出していた。
あいかわらず誰かの必要な場所として存在していて、わたしは集った人たちの輪には入りきらずぼんやり聞いているくらいで居るのが好き。それはたぶん、井上さんがそうしても許される空気を作ってくれているおかげだと思う。

井上さんは地元の人にもっと来てほしいと話していたけれど、きっとそうなるし大丈夫だよと言いかけた。でもそんな根拠のないことを言うのは無責任だしそういう言葉を求めているわけではないだろうから声に乗せることはやめた。でもちょっと余計なことを言ってしまったかもしれない。反省。

土屋さんの作品を迎えた。またあたらしい小人がやってきてくれてうれしい。あの空間とおしゃべりした時間がとても心地よくて、思い出すとちょっと泣きそう。

夕方には富山に着く。どっぷりと疲れを感じるので早めの時間を予約しておいてよかった。さみしくないのはいつ帰ってきても迎えてくれる人たちのおかげであり、今住む街にも帰りを待ってくれている人がいてくれるおかげなんだよなあ。ここ数日のことを振り返ったり振り返らなかったりして敦賀。

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