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デヴィッド・クローネンバーグの新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』観たった

難解。

ヒューマントラストシネマ渋谷。エンドロールが終わり、劇場を後にする観客のほとんどは当惑した表情を顔に浮かべていた。映画に誘ってくれた友人に感想を尋ねても「ごめん、わかんない」と首をひねる。

俺もよくわからなかった。

ただ、クローネンバーグが好き勝手(自己言及の数々を含めて)やって、楽しげにしていることはよくわかる。

ただ、御大が追い続け、今作も重要なテーマに据えられる「肉体(=精神)」がもたらす内的外的なエフェクトという主題についてはどうなのだろう。

主人公のルックは『第七の封印』を思わせる

言わずもがな、クローネンバーグは、彼自体がひとつのジャンルであると言っても過言ではない美学を持つ監督である。ボディ・ホラーを標榜せずとも、ヌメっとした臓物を映し出す新人作家は、「クローネンバーグのような……」という形容から逃れ難いように。1999年の『イグジステンズ』以来は、やや影を潜めていたそうした美学が今作では復活している。

とはいえ、その美学はこれまで以上にポジティブに描かれていたと俺は感じた。どことなく、これまでとは違ったフェイズに移行しているように。『ビデオドローム』(1983年)や『ザ・フライ』(1986年)をはじめとした、「ボディ・ホラー」作品群はやむをえず肉体が悲劇に絡め取られる物語であったが、今作の筆致は明け透けというかなんというか、とにかく登場人物が一様に楽しげにしているのだ。

魅力的なルックスとは裏腹にメインストーリーとは関わってこない(ように思われた)耳人間

しかし、それがどういうことなのか、俺にはよくわからない。「ああ、なんか、クローネンバーグ楽しそうにやってんな」程度のことである。

むしろ、「プロチョイス」「プロライフ」的な表象の方が目についた。『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』には、(ギーガーみのある)女性器を連想させる手術デバイス、子宮を暗喩したベッド、種のさやのような手術台……。挙げればキリのないモチーフの数々はもちろん、子殺しから始まる物語であったり、主軸となる臓器の誕生と切除、マクガフィンとして機能するチョコバーなどなど、明らかに生殖、そしてその選別--出生前診断を含む--に関するメタファーが山盛りになっている。

これは、なんだ。露骨な「プロチョイス」「プロライフ」についての映画に俺には思えた。肉体、内臓、さらにその内臓の中へとクローネンバーグの意識は向いているのではなかろうか。

御大の映画では、しばしばメタファーを含む「性交渉」を通じて社会に混乱が引き起こされ、そこから転じて、クローネンバーグ映画が女性の生殖能力に対する嫌悪感が表われているように、である。

常にムラムラしているクリステン・スチュワートの滑稽な演技は疑いようなく完璧

ラストは『裁かるるジャンヌ』か。以上。

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