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あの道を通ると脳や意識が活性化されるらしい

久々の投稿です。

散歩をしていると良いアイデアが浮かぶということがよく言われます。
自分にはそういう経験が無いとはいいませんが、室内に籠っているより空間が広いので、自分がとらわれていることから解放される効果が大きい気がします。

それとは別に、あの道を通ると、急に意識していなかったことが思い浮かんだり、漠然と思っていたことの答えらしきものを見つけたりする経験があります。実に不思議です。電磁波か何かのエネルギーか分かりませんが、脳や意識に共振して活性化させるのですかね。

そこは練馬区某住宅街の道なのですが、前者のケースでいえば急に「さあ太陽を呼んでこい」が頭の中で鳴り響いた経験があります。別に好きな歌でもなく、何日か前に聞いたのでもありません。いつ音楽の授業で習ったのかも覚えていません。

ただ歌詞が妙に勇ましかったなあ、ここの歌詞はどうだったけなあ、なんで脳がフル回転しだしました。
そのままでは気持ち悪かったので、帰宅して早速ググりましたよ。
ああこの曲って石原慎太郎の作詞なんだ、語尾に「ぜ」が付くところが彼らしい。そして作曲は山本直純。小澤征爾からも天才といわれただけあって、なんかスケールが大きいなと。

一方後者の漠然と思っていたことの答えらしきものを見つけたという話なのですが、私の父は戦時中に青春を送りました。学校の成績は私とは違い大変優秀でした。将来は国語の先生になりたかったようですが、終戦近くなり学業どころではなくなって旧制中学を退学せざるを得なくなりました。

さてそれからは戦後のどさくさの中、戸籍上長男だった父は、弟や妹たちを食べさせなくてはなりません。当然仕事を選ぶ余裕などなく力仕事にも励んだようです。

ただ勉強はできたという自負があっても、中途半端な学歴ではそれなりの会社に勤めるのは当時から難しかったようです。そりゃそうです、資質だけでは人はなかなか評価してくれません。実務上最低限の知識や経験が必要です。
また一種の要領の良さや人柄も大切です。おそらくクセのあった父は上手くいかなかったのでしょう。そうなると自分が事業を興して成功しない限り、浮かび上がるのは難しい。

残念ながら端から見て父は社交性が欠けていました。決して人嫌いではなかったのですが、ほどよい距離感での付き合いができないのです。要はお調子者だったということですね。おだてられて「すごいねー」と言われることがと自分に関係した昔話が大好物でした(笑)

ぶっちゃけ尋常小学校や旧制中学校でちょっと成績が良かった人なんていくらでもいます。上級学校へ進学したりそれなりの会社に行ったりすれば、上には上がいることを知るのですが、父にはその機会が無くある意味で井の中の蛙になり、その状態のまま突っ走りました。

いや知っていたとは思いますが、悔しいのであえて目をつぶったのかも知れません。人間力も乏しい自分ではもう(自分の周りの)世界は変えられません。

父の弟は東大に進学し、私も一応有名大学と言われるところに進学しました。それはそれで父は喜んだり自慢していましたが、そうなると父が知らない分からない知識や情報も増えてきます。喜ぶ一方で父がそれが面白くないことも多々あったでしょうね。

父は十数年前に他界していますが、生前はアル中の一歩手前になるまでよく飲んでいました。休日は昼間から酒です。当然父には友人はおらず、家族は数多くのトラプルも経験しました。

なんでいろいろ損をするのに父は酒を飲み続けたのだろうと、長年疑問でした。もちろん生理的欲求の部分が大きいだろうし、寂しさを紛らわすためだとは想像できましたが。家族も味方ではありませんから。

長くなりましたが、その答えが浮かんだのは、例の道を歩いているときです。自分の能力で世界を変えられないのなら、自分の脳を騙して感じ方を変えるしかないのです。俺は戦争さえなければ今頃は思い通りの人生を送れたのだという思いを、酒の力を借りて強化し続けたのです。

なんか寂しい答えですが、人間なんて割と単純なものです。
これからもあの道を通るたび、脳や意識が活性化され、思ってもみなかったことが浮かぶのでしょうか。

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