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【vol.2】名和が「自律型組織」構築を目指す理由

今日、5月9日はうちの愛犬ユメの2歳の誕生日です。
お久しぶりです。名和です。不定期更新とは言いながら、かなりの久々更新となってしまいました。読んでくれていた方々、申し訳ございません。

さて、本日は書きたい内容がもりもりなので、挨拶も手短に早速本題に移りたいと思います。

自律型組織を目指すワケ

僕が社長に就任させていただいてからずっと、名和株式会社は「自律型組織」を目指しています。
就任当初は、「うちに指示ゼロ経営なんか無理。」「史紘はコンサルに洗脳されている。」
などなどいろいろと言われてきました。

しかし「自律型組織」の構築を目指し続けたのには明確な理由があります。
人生を大きく変えた大失敗がその背景にありました。

学生コーチから職員コーチへ

僕は関西大学在学中に水泳部の学生コーチを行っており、卒業後もコーチングを続けるために、そのまま母校関西大学の事務職員になりました。
※簡単に書きましたが競争率30倍くらいなので、なかなか難関でした
そして、職員の職務を全うしながらのコーチ業はなかなかハードでした。
仕事前仕事終わりはもちろん、有給休暇を取得しての遠征、GW、夏休み、冬休みも全部返上して合宿や強化練習。。
さらに私は、如何に学生たちが前向きに練習に取り組めるかを大切にしていたので、練習メニューにも工夫を凝らせていました。

※別のお話
先日、僕をこの水泳部に導いてくれた恩師が急逝されました。
この方がいなければ僕は水泳コーチになることはなかったでしょう。
本当に突然で言葉では言い表せない悲しいお別れでした。
水泳との出会いやコーチに至るまでのお話はまたどこかで・・・。

コーチ時代の名和と教え子。ほ、細い…(苦笑)

比較的体力と健康には自信のある僕ですが、さすがに毎日のこの激務、なかなかに疲れるものでした。
そのような中でも頑張っていられたのはやはり結果が出ていたからです。
指導していた選手の一人が関西学生選手権で出した400m自由形の記録は13年経った今も関西記録として残っています。
日本学生選手権で800mリレーで3位も取ったり、ジャパンオープンという全国大会には全種目での出場しました。
その甲斐あってか、徐々に強い選手が入部してくれるようになってきました。

こうして一見、順風満帆のように見えても、実はどんどん追い詰められている私がいました。
結果を出さなければいけない。仕事もきっちりこなさなければいけない。
もっともっと・・・

人生を捧げていたはずコーチ業、その結果は・・・

自分から意欲的にのびのびと練習に取り組んでもらえる環境を創ろうとしていたにもかかわらず、気づけば、全てを指示命令で縛るようになっていました。
選手がちょっとでも私の意志とは違う行動をとろうとすると、
「それはしていけない。こうしなさい・・・!」
限られた時間内で選手たちを強くしなければならない。
そのためには選手たちを全て管理しなければならない。
その思考に陥ったとはいえ、当時の部員は50人もいたため、全員を自分一人で管理することは物理的に不可能でした。
直接指導が足りず、コーチに見てもらえていないと感じる学生は不平等感を募らせ、妬みに変わり、その歪みはどんどんと大きくなっていきました。

惜しむらくは、大学というのは基本4年間しかありません。
自分のやり方を一から理解して支えてくれていたマネージャーも順当に卒業していき、いつしか私が見えてない部分のフォローをしてくれる人がいなくなりました。
強い選手は育っていたものの、チーム・組織としてはボロボロの状態にいつしかなっていました。
当然です。自主性を奪い、指示命令で管理し、当初のやり方を知る人間も卒業していったのですから。

そうこうして、学生たちに呼び出されるワケです。
「全然楽しくない、もっと自由にやりたい、自分たちだけでやりたい、なんで全員をちゃんと見てくれないのか、お気に入りの選手しか見てない、ひいきがある」などなど。。

これは学校の部活動顧問でも問題視されていることですが、僕自身もコーチをして収入が増えることはありませんでした。
大学からコーチを委嘱されている形なのに月の手当ては1万。
時給に換算すると50円くらいだったかな?
持ち出しの方が多かったです、正直。

もちろんお金を稼ぐためにやっていたわけではないコーチ業。
ですが、上で書いたような重圧+まだ当時若干26歳で尖っていたということもあり、張りつめていた糸がプツンとそこで切れました。
「そこまで言うなら自分たちだけでやりなさい。」
と告げ、チームを去る決断をしました。

今となっては、
今の自分ならもっと違うアプローチができたのに
なぜせっかくできていた自主性を自ら摘んでしまったのか
人の管理には限界があるのになぜ縛ろうとしてしまったのか
など、後悔ばかりが残っています。

そして、二度とあのような思いはしたくない。同じ失敗はできない。と強く思いました。

私は、人には自分の意志によってこそ発揮できる力があると思っています。
それを縛ることは、単なる権力の横暴でしかありません。
そして人というのはいわゆる「役職や立場が上」という状況になると、「下の立場の人」を自分の思い通りにしたくなる傾向があるそうです。
今では水泳部での失敗を糧に、さらには年齢や経験を重ねたことで、そのような慢心とは真逆の方針を取っていますが、当時20代半ばの私にはその心のコントロールがうまくできなかったのでしょう。

サスティナブルの時代へ

そして、時代は変わりました。(いつも言っていることですが)
商品を作る設備・能力があればモノが売れる時代は終わりました。
過去のような大量生産大量消費時代であれば、トップダウン経営はある意味効果的です。
現代のお客様はなんらかの付加価値を求めて商品選びをする時代になりました。
安さ?機能性?デザイン?使用感?ブランド力?サービス?映え力?
1000円のものを1100円で売れば、利益は100円。給料として得られるのは50円です。
給料が100円欲しかったら1200円で売るための努力をしなければいけない。
そのためには、オリジナリティ、新機軸、創造力、改善力、アレンジ力などクリエイティビティが求めらます。

答えなどはありません。
だからこそ自らの意志でチャレンジできるチーム、結果を振り返って次の改善に生かせる組織を創りあげることが必要なのだと私は確信しています。
今を生きるため、そして未来に残る会社にするための、そのための自律型組織の構築なのです。
時代の移り変わり、そして僕自身の大失敗の経験をもとに、この会社をより良く改革していく所存です。
数年後 数十年後、チーム全員がこの会社での働き甲斐を求めて働ける環境を目指しています。





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